台北の関帝廟に、孔子廟の「有教無類」の心

 1月は少し温かい日もあれば冷え込む日もあり、元日を迎えた台湾での暖かさがありがたく感じられます。4歳児は先日、朝起きるとすぐに「台北からうちまで車で帰ってくる夢を見た」と言っていました。・・・車で!!? フェリー以外で近い将来、自家用車を持って行き来する方法ができるかもしれないと思うと面白いです。

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 台湾で迎える元日といえば、高さ509.2mの塔である台北101から「跨年花火」が放たれます。タワーの外壁いっぱいに、昼は見えなかった花火が仕掛けられていたというのか。



 この今年の元日は、台北の街を家族で観光して帰る日でした。そのときに立ち寄った孔子廟が印象深く、考えさせられることも多かったことを書き留めておきたいと思います。



 孔子はこちらで学問の神様と崇められ、学問と書に最も通じた人であるとも言われています。孔子の誕生日である9月28日には台湾全土の学校長が台北孔子廟に集まり、現在の教育を省みる式が行われるそうです。

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 廟の中心に位置する大成殿の中に、額字が2つ。書かれている言葉は、下が「道貫徳明 民國99年12月 馬英九」(民國99年は西暦2010年)、そして上が「有教無類 民國39年8月 蒋中正」(西暦では1950年)です。

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 学問の神様と崇められる孔子廟に掲げられる「有教無類」字の意味は、教えこそがまずあって生まれつきの人間の価値に大小はないということで、だからこそ「学問・知を『誰にでも教えるよ』」という姿勢を示しているのだそうです。
 「誰にでも教えるよ」という姿勢や度量。大学に勤めている私がそれを持てているのか、持つべきか、持つには何が必要だろうかということを、この3週間考えていました。その中で、今の上司(ラボの教授)が昨年末の忘年会でおっしゃった言葉を思い出しました。

 学生の面倒をよく見られる人のことは、大学院生もよく見て学ぶといい。周りの人の面倒を見られること、周りの人に物事を教えられる人はなぜそうできるかというと、その人自身が自分のことに一生懸命取り組んでいるからなんだよね。研究室で色々と後輩(卒研生)に教える機会を持つ大学院生にも、自分の持つ課題に一生懸命取り組んでできる経験から学んでほしい、と。

 そう、自分なりに「有教無類」に近づくには、自分の分野の技術や知見やインパクトをしっかりと突き詰めていって、それが隣の分野に日常の中で伝わるようになるよう努めること。結局はそうするしかないし、それが良いのですよね。それを分かった上で、自身で取り組もうと思ったことに対して真摯に向き合い続けること。そこから得たものを骨肉にして初めて、周りに伝えるに値するものを見つける可能性が生まれるのかもしれない。つまり、教える姿勢は大切だがそれよりまずは、教えられるものを自身の実践の上にアップデートし続けられることがもっと大切なのだと。そんなことに改めて、ここ3週間考える中で気づかされました。


 大切な廟の正面は普段、必ず扉や壁で閉じられているそうです。

 同じ日、元日の朝には台北市街の道を北に走り、関帝廟である行天宮に行きました。




 こちらも大切な廟の正面です。

 早朝から参拝される方の信仰する気持ちが、特別な雰囲気を醸し出していました。閉じられている正面の扉のすぐ裏に、正面横の入り口から入ると・・・



 読経をしている人たちの並び。そして、中央にはたくさんの人が座ったり屈んだりしてお参りをされていました。赤い貝のようなものを、何回を地面に撒くことで祈祷をする。これは中華の寺院ならではのお詣りでしょうか。



 正面には威厳ある関羽の像。これに相対して私の2017年は始まったのでした。

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