門司港―関門海峡に面した九州の鉄道の起点


 2023年末の西の旅では、下関から久しぶりに関門トンネルをくぐって門司港に来ました。


 駅を中心に、レトロな街区が有名な町。対岸の下関と関門海峡に面したこの町が、飛行機のない時代の海外との交易に重要だったことがその始まりです。門司港駅には、赤い絨毯敷きのかつての貴賓室があったりもします。


 古く源平合戦では西に追い込まれた平氏が、最後に敗れた壇ノ浦もこの関門海峡。写真は下関側にある壇ノ浦合戦(1185年)の碑。最後は海峡の潮の流れが勝敗を分けたと言われていますね。負けを悟った平氏側は、自分たちが擁立した幼い安徳天皇まで海に沈めたなど、まったく恐ろしい話です。


 その安徳天皇を祀る、下関側の赤間神宮・・・。ここの潮の流れは、船での交易が盛んな時代になっても航海士たちを苦しめたほど速いわけですが。

 そのように長く歴史の舞台になってきた門司での出来事を、ジオラマ風などで面白く解説しているのは関門海峡ミュージアム


 室町時代日明貿易中継港としての地理、毛利元就(広島)と大友宗麟(大分)の攻防、秀吉が座礁した与次兵衛ヶ瀬に、ドイツ出身のシーボルトによる港の調査(1828年)。馬関戦争(1864年)で砲船を擁する欧米 "列強" 四国に負けた後、講話交渉で不平等の押し付けに対抗した高杉晋作の活躍。1866年の四境戦争から明治維新を経た後、1921年からの大連航路開業で国際港になったこと。


 これがその大連航路の港としての建屋。当時は建屋の目の前が海で、ここを船が発着していました。今この建屋は、当時の記録を展示する資料館になっています。

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 この門司港に鉄道が敷かれたのは、九州の鉄道が博多から走り始めた1889年の2年後の1891年。下関よりも10年早いんですね。重要な港を擁して本州と向かい合う門司港が、このとき九州の鉄道の起点になりました。


 現在の鹿児島本線の0キロポスト。(門司港駅


 以前の鹿児島本線の0キロポスト(旧0哩標)。国鉄九州総局やJR九州本社が2000年まであったこの門司港では、赤レンガ造りの初代九州鉄道本社社屋が2003年から九州鉄道記念館になっています。ここの展示がまた素晴らしい。


 明治時代から昭和初期にどんどん鉄道は整備され、まず1898年には長崎方面に全通(早岐経由)、鹿児島本線も1909年に全通(人吉経由)、日豊本線は1923年に小倉~吉松全通。その後、1927年に水俣・川内経由の路線が開業して鹿児島本線の南側が海沿いに(その後、2014年に九州新幹線全線開業)。1930年代には日豊本線霧島神宮開業で西都城経由に、長崎本線肥前白石経由にと変更。海沿いまで山が迫る土地への交通インフラ整備の大変さが感じられます。2022年には長崎への主要ルートが、長崎(西九州?)新幹線開業で再び武雄温泉~大村経由に。途中の町は大変だなとも思わされます。


 1942年の関門トンネル開通時からここを走った電気機関車。当時量産されていた型でこのトンネルでも大活躍をしたばかりでなく、1953年の西日本水害のときには豪雨によるトンネルの水没から間一髪で逃れたときも、助走をつけてトンネル出口の勾配を登ったとか、ふだん便利に使うばかりの交通インフラの大変さを実感する話もあるようです。

 関門海峡をトンネルでくぐる国道2号のすぐ横には、歩いて通れる人道も。以前は昼間に来てしまい、隣のトンネルを通る車の音がただただ大きかったのですが、早朝に来るとそんなこともなく大正解。


 見どころが尽きず大変に楽しんできました。

 ここから帰りは門司港から博多経由で、福岡空港からの飛行機で。新幹線だと1駅の小倉・博多間は、各停で行くと28駅。新幹線1駅分がそんなに多いところは、他に無いように思います。ここを今回私たちは、新幹線でも各停でもなくお得なチケットのあった在来線特急で。軽井沢やもうすぐの北陸(富山~福井)など、新幹線ができるたびに途中の町に行きやすい特急がなくなっていきますが、九州はこれからも色とりどりの特急列車で回りたいものだと思います。

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