小学校で運動会、きっともっと楽しく走れるよ

 先週末は、6歳の人が通う小学校での運動会でした。一年生は入学して1ヶ月半での運動会。本人がどんなに元気に振る舞っても、金曜の夕方には体力尽きて早くに寝てしまう姿を見ていましたが、


 徒競走にダンシング玉入れ、そしてリレーにとダイナミックな動きを見せてくれました。

 一年生の座って並ぶ応援席では、盛り上げ上手の上級生(友達のお兄ちゃん)が応援団としていてくれていて、一年生が待ち時間も生き生きとしていたのも有り難く、微笑ましい姿だったり。

 小さい人たちの活躍はpriceless。一方で、惜しいなと思うこともありました。こんなに走る練習をしたのなら、練習中にごく簡単でいいので、技術的なアドバイスをできる人が一人でもいてくれたら良かったのに。


 人って走り回ることが好きでさえあれば、もっと簡単に速く走れると思うのです。きっとたくさん走る練習をした小さい人たちの耳に、走り方のアドバイスはどのくらい、入っていたのだろう、と。

 学校は、国語の時間には例えば、字の上手な書き方を教えてくれます。うちの一年生も、つい2ヶ月前には全然知らなかった「丁寧に字を書くこと」を覚えてくれました。


 左は、保育所の修了間際に、本人が嬉々として書いていた字。右は、小学校に入って2ヶ月目に書いた字。短期間でこんなにトメがしっかりしたり、筆圧が強くなったりするものかと驚いています。小学校の国語の時間に、こういった書き方を丁寧に教えてもらったようです。

 同じように、体育の時間に走る練習をするのに、ただ走る距離や回数をこなすのでなければいいなと思うのです。ボールを投げるのなら、ただ何回も投げること以上に上手くなる実感が本人にあれば、小さい人たちもどんなに楽しいだろうかと。
 どうしたらもう少し速く走れるのか、とか、どうしたらもう少し遠く投げたり狙った場所に投げたりできるのか、とか。その「もう少し」は意外と簡単にできるはず。その積み重ねは、難しいこともあるかもしれないけれど。

 小さい人たちが「もう少し」のヒントを聞くことで、自分の体を思い通りに動かせるようになる実感を、僅かずつでもそれぞれ持てるかもしれません。そんな機会をくれるのが体育の目的であり、運動会の目標でもあったりいいと思うのですが、どうなんでしょうね。

 逆にもし、技術的なヒントが極端に少ない環境で子どもたちに運動を続けさせてしまえば、どうなるでしょうか。速く走るためには、もしくはボールを上手に投げるためには、ただ回数や量をこなしたり、時間をかけたりすれば良いという誤ったメッセージを伝えることになってしまうとも思うのです。
 量や回数をこなす時間を少し割いて、技術の話に小さい人たちが触れることがあったらいいなと思います。もちろん、それに本人たちが楽しんで取り組めることは大前提としてね。

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 運動会当日、うちの一年生は、後ろに引いた腕がやや伸びて流れてしまい、ピッチが落ちてスピードにもやや乗れていませんでした。そうして迎えた翌週、時間割を見ると火曜に「たいいく 50メートルそう」の文字。その予習にうちの一年生は、保育所年長時の運動会のときのビデオを見直していました。


 体育こそ、予習復習だよ。
 > 5回目の保育所運動会(2017年9月30日)

 膝を上げ、引いた腕を返しての速いピッチを思い出せるかな。普段の身のこなしから小さな変化を見逃さず、体と対話する感覚を身につけつつ、これからも本人なりに体を動かすことが好きでいてくれたらいいなと思います。

 久しぶりに参加した小学校の運動会で、一生懸命体を動かす小さい人たちを見ながら、そんなことを考えていました。


 また来年。

 その、小さい人たちにとって一年は大変に長い。とりあえず、時間割に「たいいく ボールスロー」もあって本人が「遠くまで投げられるようになった」と喜んでいるので、今夜これを買ってみました。何も下調べせずに100均に行ったら見つからず、別のおもちゃ屋で1400円で買ってきたのですが・・・ コレ。↓



 遊ぶどー。