「つよいよわいよわい・・・」は休み明け、小学校生活での悔しさの表現か

 うちの一年生は春に小学校に入って以来、好きな運動会の練習、読書にドリル、夏休みは読書感想文、自由帳にはびっしり絵と字を並べての「マイ図鑑」作製と、絶賛張り切り中で楽しんでいるようです。

 今のところ、幸いにも小学校についてほぼ何も心配することはないのですが、夏休みの初めに気になった一年生本人の発言がありました。それは、学校外での短期プール教室に持っていく日記を書いていたときのこと。「これは小学校じゃないから、カタカナで書いていいんだよね」というもの。そのとき本人は小学校の宿題を離れ、喜んでカタカナ混じりでの日記を書いていたのでした。

 おそらく、小学校でもカタカナを書いたところで、猛烈に怒られることはないはずです。実際に、本人が書いてくる「連絡帳」にはカタカナも混ざっています。しかし、学校では「まだ○○○は習っていないよね」などとやんわりと言われることはあるのかな、などと思ったときに、そう言われた小さい人の気持ちを想像してやるせなく思うことがあります。小学校の先生、もちろん悪い人ではないのですけれど。

 それでも、「カタカナはまだ学校で教えていないから」という理由で「ぷりんと」だの「てぃっしゅ」だのを平仮名で書かせる文化があるとしたら、それにどう対処しようかと考えずにはいられません。私自身は「周りの人ができないことはやらないでおく」という文化は好きでありませんし、それを外から見るのも好きではありません。

 それに、・・・カタカナくらい小学校に行かなくても、4歳にもなれば恐竜だか昆虫だかの図鑑で全部マスターしとるわ。(※末尾に注あり)

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 うちの6歳の人は幸いなことに、小学校生活を楽しんでやり切ってくれています。もちろん本人にとって悔しいことも、伝えたいことが伝わらなくて悲しい思いをしていることも多くあるでしょう。

 そんな中で小さい人たちが学んでいくことは、自分の言いたいことが伝わらないのを、自分のせいだと責める必要は絶対にない、ということであって欲しいと思います。まして、周りにいるのに分かってくれない大人が悪いわけでもないとも。大人だって人間でそんなもの。分からないものは分からないのですから。

 ふといろいろな一年生のお話を聞いていると、外から見るといつも楽しくやっているように見える人でさえも、実は「学校行きたくない」と言うことがあるようです。うまくいかないこと、失敗したことが恥ずかしいという気持ちになり、結果として表に出てしまう自分の行動をうまくコントロールできないこともあるようです。
 同時に、そんな小さい人の気持ちをどう汲み取ればいいか、大人の方が戸惑っている場合もあるようです。

 身近な小さい人たちの悔しさを、私も隣にいるときでさえも、全部分かってあげられることはないでしょう。それでも、悔しさや楽しさを器用にも不器用にも伝えてくる小さい人がいたら、それをできる限り正面で受け止めて、一緒に消化吸収していきたいものだと思います。

 それは「うまくやりたいのにできない」ことや「できなくて悔しい」という気持ちに向き合うことからこそ、新しいことを「できた」瞬間に出会うことがあると思うからです。たとえそれが、本人の初めに望んだものでなかったとしても、新しく何かをできるようになりたいことに向き合った経験は、その人を確実に大きくしてくれるでしょうから。

 そんなことを考えながら過ごす毎日の中での出来事。もう4ヶ月以上も前、6歳の人が小学校に入って一ヶ月ほど経った、5月の連休明けの話ですが。6歳の人がお風呂で、小学校での話をひと通りしてくれた直後のこと。本人が急にじっと床に座り込んでいました。斜め後ろから手元を見ると、


 ちらっと見えたのは、その人の書いていた「つよいよわいよわい……」の文字。

 小学校ではうまくいってることだけでなく、当然うまくできなかったと本人が思ってることもあるでしょう。
 このときはちょうど、運動会の練習が盛り上がって来るころ。勝ちたい勝負で負けたりしたかなと思って、悔しさの表現かなと思って一旦は声をかけずに、本人が書き切った後に「どんなこと書いたの?」と訊いたのでした。そうしたら、その返事は。


 「いろんな風のことだよ」とのこと。それも何とも得意気な顔で。

 いえ、いろんな風の強さが時間変化の情報付きで書かれた、その表現が面白くて!

 人に評価されることをしようとなんて思わなくていい。自分が楽しい面白いと思う気持ちに素直であること、楽しいことや面白いことに手足を向けることをためらわないこと、それが一番だと。それができるだけで、人に新しい面白さや新しい気づきを提供できるチャンスにたくさん巡り会えるんだろうな、と。そんなことを思わされた一枚でした。

 自分が楽しい面白いと思うことに一歩、また一歩踏み込むこと。その先にもっと面白いことがありそうだとクンクン嗅ぎ回ること。
 今まさにそんな過程にある人たちのチャレンジを応援したいと思いますし、自分も負けずにそういうチャレンジをしているつもりです。そして同時に、そういう人たちに囲まれている毎日を、とても幸せに感じているところでもあります。

 今日から私は今週の出張に出ていますが、また変なモン探すぞ、とも。明日、日本の多くの小学生たちは、連休明けの登校ですかね。楽しい学校生活になりますように。

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 PS. 身近なところでは、米国にいた友達がこの夏帰ってきて、また一つ遊びが増えました。


 これは市内の公園での水辺の生き物探し。偶然近くを通りかかった少し大きい人たちも、いつの間にか仲間に加わっていました。この人たちが、目的を共有して一緒になって一生懸命になる姿は、見ていて微笑ましいものでした。

 ※学校の先生とは何ぞやを考えていた中で出会った、読んで良かったお話。⇒嫌われていたいい先生の話糸魚川ロングブログ、2018年7月16日)

 ※最後に注: 私自身は道路や鉄道の地図ばかり見ている子どもだったので、「マリンライナー」「ライラック」「ホワイトアロー」「快速ラビット」など列車の愛称にあるカタカナしか知らなかった気もします。地名だと「ニセコ」とか?