三浦半島はどこにあるかでしょうか、というのはどのくらいの人にまで分かるでしょうか? 答えは神奈川県の右下(南東)に突き出し、横須賀なんかがあるところ。房総半島や伊豆半島と比べるとサイズが小さいので、日本地図のこの地域を遠目にしか見ないと見逃してしまうかもしれません。
とはいえ都心から40分程度でアクセスできるので、都心から一番近い半島とも言えます。もっとも、新幹線だと品川から熱海(伊豆半島の入り口)まで30分程度ですので、新幹線の移動時間を短くする効果は凄まじいとも思わされますが。
三浦半島の東側は東京湾への入口ということで、戦前に軍港として栄えた横須賀もそこにありました。以前にその海岸を朝走ったことがありますが、“不発弾を見つけたら触らずに報告を” という看板が道沿いに並んでいて、物騒だなと思いつつも歴史を感じた場所でもあります。ここを出身として名字にこれを冠した人たちに、鎌倉幕府の初期に活躍した「三浦氏」がいますね。
年末は、水族館好きのうちの6歳の人と江ノ島に行ったときに、12歳の人と三浦半島の先まで電車で行こうと話してそちらも巡ってきました。行きはJR横須賀線で。久里浜で京急に乗り換えて、三崎口へ。
JRの逗子を過ぎて三浦半島の西岸から東岸側に抜ける途中には、レンガ造りのトンネルに停車位置が入り込む駅(JR田浦駅)があったり。
並行する国道16号には、はじめ海軍のトンネルとして開通したものもあるなど(新田浦トンネル)、軍需輸送に多くのルートが必要とされたそうです(国道16号・田浦トンネル|横須賀市)。 横須賀の観光マップには、「横須賀はトンネルが多いまち」「日本一と言っても過言ではありません。」という説明まであります。➡横須賀トンネルマップ(PDF)
横須賀で有名なペリー来航の地「浦賀」の、JRの最寄り駅は「久里浜」。「浦賀」の名前は京急本線の終点にありますが(京急最速の快特などが向かう三崎口に向かうのは、支線の京急久里浜線)、一方の「久里浜」はJR横須賀線の終点なので、千葉の人でも知っている場所だと思います。なのですが、そこがペリー来航の地の近くだったなんて知りませんでしたよ。JRはせっかくなんだから教えてよ。
三浦半島の根元には、ジェットコースターのように上り下りする乗りごたえ最高のモノレール線があります。起伏のある地形を、湘南モノレールが迫力満点に貫いています。そもそもこの地域で平坦なのは横浜から杉田・金沢の湾岸の工業地帯くらいで、横浜も港のすぐ裏は丘ばかりですよね。保土ヶ谷も戸塚も港南台も、鉄道と車のどちらで移動していても切り通しやトンネルが断続的に現れる丘陵地です。
そういえば、源頼朝が幕府を開くのに鎌倉を選んだ理由も、海に面しつつ、陸の三方を山に囲まれていて守りに適しているからだったという話がありますが、この「山」も三浦半島の根元の地域に連なる丘陵地ですね。
その地域の大船‐湘南江の島間を、湘南モノレールは単線で結びます。線路を走る鉄道と異なり急勾配や急カーブにも適したモノレール線を、住宅地の中でも踏切なしで、低コストの単線で設けたのが成功の鍵でしょうか。鎌倉-江ノ島の6.7kmを25分以上かけて走る江ノ電と違い、大船-湘南江の島のモノレールは途中の5°近くの勾配(最大勾配74‰)をものともせず、6.6kmを15分で爆走します。
終点(湘南江の島)に着く直前も丘を貫くトンネル。とにかく、ひたすらにカーブと勾配のある中をここまで爆走。
これに並行するあたりの鶴見から戸塚 (23.1km) を、65分ちょっとで爆走するのは箱根駅伝2区の選手。もちろん江ノ電よりも速い! その箱根駅伝のコースのうち、保土ヶ谷から藤沢橋まで国道1号を先日走ってみました。
この保土ヶ谷から権太坂に向けては長い勾配。箱根ほどではもちろんないものの、切り通しを曲がりくねりながらの頂上の見えない坂はきつく長い道です。なお、切り通しのある今の箱根駅伝のコース(国道1号)の隣に、尾根道の旧東海道の権太坂もあるそうです。箱根駅伝も第17回(1936年)までは、旧東海道の方の権太坂をコースにしていたとのこと。
箱根駅伝2区のコースは権太坂から、長い勾配を下りた後に「戸塚道路」から、激しく上り下りする “戸塚の壁” のあるバイパス線に入ります。旧道に当時JR東海道線の踏切があったため、1955年に戸塚道路が開通した翌年から、踏切を避けるべくこちらが駅伝のコースになったという道です。これが箱根駅伝2区の「20kmからの坂」。道の両脇にそびえるガードが特徴的なこのバイパス線は、遠目でも手前との標高差がよくわかる場所でもあります。“登って下りて、さらに1km登り” と進んだ先に戸塚中継所があるのですが、この登り下りはテレビ中継で見て感じる以上に、実際には長くて急なのです。
↑ 新江ノ島水族館で見つけた、湘南海岸あたりの地形。箱根駅伝のコースで保土ヶ谷~藤沢と4, 7区(大磯~二宮)に、アップダウンがあるのがよく分かります。
その後半が坂ばかりの2区 (23.1km) を、1995年に1:06'48"の区間新記録で走った渡辺康幸さんは “神” だと思っていましたが、2020年に相澤晃さんが66分を切って65分台に突入 (1:05'57")。今日、2025年の箱根駅伝では上位3人が65分台の区間新記録で走っただけでなく、ついに過半数の11人が66分台以内で走る時代が来てしまいました。
もっとも、世界のマラソンも2003年に初めて2時間4分台が出てから(2:04'55"、ポール・テルガト)、20年後の2023年に2時間0分台に突入したわけで(2:00'35"、ケルヴィン・キプタム)、新しいシューズの登場はもちろんトレーニング方法の革新もあり、これからも記録はどんどん伸びていくのでしょう。
明日、1月3日は箱根駅伝の復路。レースでは喜びあり悔しさありが付き物ですが、各チーム10人+αの選手のコンディションを20km無難に走れるよう整えることは、そもそも大変に難しいこと。大きなアクシデントなく、選手の皆さんが力を出し切れるよう願うばかりです。
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