我が家の4歳児が春から地図を覚え始めて以来、およそ半年が経ちました。今や、漢字を地図や電車の路線図から覚える毎日です。30年前の私もそうだったっけな。
こうして漢字を覚えていると、富士山を「ふじやま」だと言い張って山を「さん」と読むことに納得できなかったり、熊本や松本で「本」を覚えたために本屋の看板を「ほん」と解せなかったりするわけですが。それも慣れれば解決してくれるでしょう。
また、帰省するたびにお城を見るので、城にも興味を持つ様子。今の主要な地名と城の名前が一致しないと、訝しがることもしばしばです。2016年4月にあった熊本地震で「熊本県熊本市の熊本城」がたびたびテレビに映ったこともあり、「○○県」「○○市」「○○城」に色々な県名を入れて連呼するのが子どもには楽しいようです。
しかし、今の都道府県庁所在地が、近世(江戸時代)以前も地域の行政の中心だったとは限りません。まして、歴史的な要塞もしくは行政拠点としての城がそこにあった例は多くはないのではないかと。ふとそう思い、「都道府県名‐都道府県庁所在地名‐城名」が一致する例を並べてみました。
①山形県‐山形市‐山形城(霞城)
斯波(最上)氏により鎌倉時代に築城され、山形藩庁としての機能を担った。1871年の廃城後に解体され、城址が公園として残る。
②岐阜県‐岐阜市‐岐阜城
1570年前後に織田信長により改修・命名。関ヶ原直後に廃城となるが、20世紀に天守が再建・改修された。
③大阪府‐大阪市‐大坂城
1580年台に豊臣秀吉により築城。1615年の大阪夏の陣で落城した後、1620年台に徳川秀忠により改修。天守は1665年に落雷により消失し、現存するものは1930年頃再建されたもの。
④和歌山県‐和歌山市‐和歌山城
1590年台に豊臣秀長により築城。1620年台に徳川頼宣により改修されて以来、紀州藩庁としての機能を担った。天守は1931年に国宝とされたが1945年の原爆投下後に倒壊した後、1950年台に再建。姫路城・松山城と並び連立式平山城の代表とされる。
⑤鳥取県‐鳥取市‐鳥取城
1580年台の羽柴・毛利の戦いの場の一つ。現在は遺稿のみ。
⑥岡山県‐岡山市‐岡山城(烏城)
1570年以降に宇喜多・小早川・池田氏により改修され、岡山藩庁としての機能を担った。天守は1931年に国宝とされたが1945年の空襲で消失した後、1960年台に再建。
⑦広島県‐広島市‐広島城(鯉城)
1590年台に毛利輝元により築城され、関ヶ原後に福島正則により改築。江戸時代は広島藩庁(浅野氏)としての機能を担った。天守は1931年に国宝とされたが1945年の原爆投下後に倒壊した後、1950年台に再建。
⑧徳島県‐徳島市‐徳島城
1580年台に蜂須賀氏により築城。現在は城址のみ。
⑨高知県‐高知市‐高知城
1600年台に山内氏により築城され土佐藩庁としての機能を担った。天守は18世紀に消失後再建されたものが現存。
⑩福岡県‐福岡市‐福岡城(舞鶴城)
1600年台に黒田長政により築城され、福岡藩庁としての機能を担った。1871年の廃城後に解体され、城址が公園として残る。
⑪佐賀県‐佐賀市‐佐賀城
1600年台に鍋島氏により改修され、佐賀藩庁としての機能を担った。1874年には佐賀の乱の場となった。
⑫熊本県‐熊本市‐熊本城(銀杏城)
1590年台に加藤清正により改修され、熊本藩(加藤氏-細川氏)庁としての機能を担った。天守は1960年にも改修されている。
⑬鹿児島県‐鹿児島市‐鹿児島城(鶴丸城)
1600年台に島津忠恒(家久)により築城され、薩摩藩庁としての機能を担った。1877年の西南戦争の場の一つ。現在は城址が公園として残る。
ほかに、“日本100名城” に含まれないものの「福島県‐福島市‐福島城(福島藩庁)」と「山口県‐山口市‐山口城(幕末の山口藩庁。ただし、長州藩庁は長く萩に置かれていた)」があります。それらを加え、三者が一致するのは15県でした。
次に、今の県庁所在地名を冠する城はあったのに、県名だけそれと違うのは次の10県。
・岩手 盛岡市・盛岡城
・宮城 仙台市・仙台城(青葉城)
・茨城 水戸市・水戸城
・栃木 宇都宮市・宇都宮城
・山梨 甲府市・甲府城(舞鶴城)
・石川 金沢市・金沢城
・愛知 名古屋市・名古屋城
・島根 松江市・松江城
・香川 高松市・高松城
・愛媛 松山市・松山城
この辺り、なぜ県名だけ違うものになったのかを調べてみるのも面白いかもしれません。例えば茨城の県名が「水戸」にならなかったのは、水戸藩が新政府に貢献をしていないとみなされたからなんだとか。
それらと逆に、今の都道府県庁所在地の方が近世以前の中心街と違う例も多いです。北海道、青森(弘前)、福島(会津の若松城=鶴ヶ城が有名)、神奈川(小田原)、長野(上田、松代、松本など)、三重(伊賀上野)、滋賀(彦根)、山口(萩)とか。あー、また色々行きたくなってきた。
2018年3月追記: なお、ここまでに挙げた城の中で高知城、松江城、松山城の3つは、天守が江戸時代以前から残っている「現存天守」を持つ城なのだそうです(同じく現存天守の犬山城に、その展示がありました)。現存天守は、復元天守や復興天守とは違う貫禄や歴史を感じるので、是非回ってみたい。
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うちはよく長野に行くにも関わらず、そこに「長野城」がなかったことが4歳児には納得いかない様子。しかし名前が違っても城はあるということで、先週末は上田城と松本城を回って見比べてきました。
国宝になっている松本城の天守。中の階段は大変に急なもの。
天守からは、よく整えられた城下も向こうの山も見えます。
次が上田城。
上田城に見栄えのする天守はありません。しかし要塞としての造りが秀逸で、真田氏が二度にわたって徳川氏を退けたために、「真田」「上田」の名が全国に知られることになりました。一方で徳川氏にとっては忌まわしいものに違いなく、上田城は関ヶ原の直後に破却されました。
その後に上田に入ったのは仙石氏。真田氏と比べるといま知られることは多くありませんが、この仙石氏が城の再建を始めなかったら今「上田城」「真田」が観光資源になることはなかったはず。そう考えると、今の上田における仙石氏の貢献も大きいと思わされます。
今の地名と城の名前。他にも気になること、調べてみたいことなど多々ありますが、今回はこんなところで。
●【東海】美しい掛川城の御殿と浜松城の石垣―4歳児と日帰り旅行(2016年12月)
●【東海】愛知の犬山城と名古屋城(2016年9月)
●【東北】盛岡へ日帰り突撃旅行(2016年4月)
●【近畿】4歳の人と二条城など京都弾丸ツアー(2016年5月)