和歌山ー一番贅沢な「城のある景色」を持つ県庁所在地か?

 橿原に高取と千早の山城を歩いて回った日の夕方着いたのは、こんな景色の見えるホテルでした。


 和歌山城。次に他国からの人を迎えるときには、こういう歴史のある城郭の見える所を紹介したいものです。しかし、ライトアップされた天守がこんなに間近に見える所に、この夜初めて泊まりましたよ。

 和歌山城というと、江戸時代に徳川御三家の一つである紀州藩の中心が置かれた場所ですが、その前は大和郡山と同じく豊臣秀長が収めていました。秀長というと秀吉に従って各地を忙しく転戦していたイメージがありますが、領主としては紀伊・大和・和泉を収めていたんですね。


 多様な石垣の存在が、和歌山城のハイライトの一つ。戦国時代の空気の残る1585年に秀長が整備したときの石垣は、天然の形の石をそのまま使って積み上げた「野面積み」(写真奥)。
 一方で御三家・紀州徳川家の居城になった1619年以降に拡張された部分の石垣は、石を整形したものをほぼ隙間なく組み上げた「打ち込みはぎ(接ぎ)」(写真手前・左)。初心者でも歩いて見て回るだけで400~500年前の時代の変化が分かった気分になります。


 城郭の西には、紀ノ川が注ぐ紀伊水道への河口が見えます。街と向こうの海とが隣り合わせの景色に、人の営みの広さと豊かさを感じる場所でした。

 この和歌山の「南の丸」にはなんと、大正時代からある動物園があります。城内の動物園って、小諸なんかにもあるじゃーんと思ったのですが、

「近世以来の天守」を持つ城内の動物園は、この和歌山と姫路にしかないのだとか。少し前までだと、小田原にも1950年からアジアゾウのいる動物園がありましたが、ゾウが2009年に亡くなった少し後に閉園しています。

 しかし、史跡のすぐ横に動物園を維持しようというのは、それは大変で工夫の要るんだろうと想像できますよね。何か園舎を改修しようとするにも、隣に守るべき文化財があるわけですから。


 おばあちゃんクマが、ずっとこちらにお腹を向けて昼寝を披露(?) してくれていました。

 このように、珍しい施設に徳川御三家の居城という歴史も持つ城の天守も、愚かな戦争末期の1945年7月9日の空襲で一度消失してしまっています。なお、御三家の他の二つである名古屋城天守水戸城の御三階櫓も、同じ年の5月14日と8月2日にどちらも空襲で消失しています。あーぁ。

 もっとも、愚かな○○に限らず普通に見に行けると思ったものが突然見られなくなってしまうことは他にもあるので、行きたいところは行けるうちに行って見ておかないとな、と最近もまたいつも思うところです。

 ここから、和歌山市駅からの帰路は南海で簡単にアクセスできる関空経由を選びました。今回和歌山でお土産を買う時間がなかったので、それを少し関空で見たかったところ、関空のお店にあったのは大阪や神戸(フェリーで直結してはいますけれども)のものばかりで、和歌山のものは一つもなし。電車で40~50分程度で結ばれているというのになぜ・・・ 頼むぜ関空