明智光秀に縁深い「丹波」の亀山(亀岡)と福知山

 歴史好きのうちの8歳の人(もうすぐ9歳)は、明智光秀を主人公とした2020年NHK大河ドラマ麒麟がくる」を欠かさず観ています。本人が興味を持ちすぎて1年前に『明智光秀の足跡をたどる旅』という本を買ったほどです。

 この本では主に岐阜〜滋賀〜京都〜兵庫(*)の光秀ゆかりの地が紹介されています。が、このうち後半(西半分)が今回のドラマになかなか出てこない上に、紹介もされないという話がニュースになっていました。

「麒麟がこない」ゆかりの地に焦り 大河ドラマ館設置の京都・亀岡、紹介コーナー未登場(2021年1月24日、京都新聞
大河「麒麟がくる」残り2話 ゆかりの福知山で市民が予想する最終話(2021年1月28日、両丹日日新聞)

 ドラマが来週(2021年2月7日)までのあと2回で終わってしまうのに、愛知・岐阜・滋賀・京都と比べて光秀にゆかりの深い「丹波」の史跡の紹介が少なかったという話。これは正直かわいそう。

 というわけで、どういうわけか今回NHKが関心を向けなかった丹波亀山(亀岡)と福知山を、以前の写真も交えて紹介してみまっす。

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 歴史を簡単におさらいすると、光秀が第二次丹波攻略にあたり亀岡に城下町(丹波亀山城)を作り始めたのが1577年。光秀が八上城や黒井城を落として丹波を治め、福知山城を整備されたのが1579年ですが、そのわずか3年後の1582年6月初旬に本能寺の変からの山崎の戦いがあり、光秀は敗北してしまいます。
 近世城郭としての丹波亀山城は、江戸時代初期になってから藤堂高虎により再整備されることになります。

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 (いま見える石垣は、さらに現代になってから積み直されたものがほとんどとのこと。)

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 丹波亀山(亀岡)は、保津川沿いに築かれた町です。保津川というと、5年前の初夏にトロッコ乗りに来たっけな。


 この亀岡から福知山までのJRは山陰線。国道9号沿いに行くかと思いきや、途中の園部(京丹後)から綾部まで国道9号と別の川沿いの、国道27号に沿って進路をとります。これは園部から福知山でなく舞鶴に向かう道です。

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 時折、川沿いに穏やかな景色が望めます。

 山陰線は綾部で国道27号と別れ、由良川沿いに開けた盆地を西に行くとすぐに福知山。由良川の方はというと、綾部から福知山を経由してから国道27号と別ルートで、舞鶴に流れていきます。

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 福知山はすぐ北にこの由良川が流れ、城跡公園は今も西北東の三方が断崖で、要害の雰囲気を今も感じられる場所です。

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 で、これが福知山城の天守ですが、天守台として積まれた石を見て「おっ」と思う人はたぶんかなりの “城郭通”。

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 石垣にかなり整った四角形(直方体)の石がいくつもあるんですね。その石には梵字も入っていて、つまりは寺社からの転用石なのだそうです。石の転用には、資材が足りなかったという事情の他に、地域の力を結集したことで城を保護する願いを込めたという意義もあったのだとか。

 それから、石垣の端でないにも関わらず石の境目が斜めの直線に見えるところは、元々は石垣の隅だったところなのだということ(左端に男の子が立っているあたり)。もちろん私は自分では「おっ」と思えず、教えてくれるのは長男ですが。

 百聞は一見に如かず。また心置きなく旅ができる状況に早くなってほしいものだと切に思います。

亀岡城亀岡市観光協会
福知山城福知山市

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*岐阜:美濃は明智氏の郷がある地域。光秀が仕えた信長も岐阜城を本拠にした。
*滋賀:光秀が丹波に移る前城を築いた坂本がある。
*京都:丹波を治める南北のの拠点とした亀岡と福知山に、本能寺。
*兵庫:光秀が丹波攻略で戦い続け、平定後に短い間ながら治めた「丹波」の一部がある。

 このとき可児の史跡に興味を持ったのも、冒頭に挙げた『明智光秀の足跡をたどる旅』のおかげ。

 岐阜城への金華山北側の登山道に「斎藤道三の時代の石垣が遺っている」という話も、NHK大河の「紀行」で紹介されていたとのこと。行ったときは8歳の人が一人で確認して、現地で教えてはくれませんでしたが…!! 本人も自分が見たいものを「自分で見る」ことに一生懸命なので、致し方なしというところでしょうか。