文化の数だけ悩みがあり、人の数だけ夢があります。
文化の異なる人と交流する価値があるとしたら、それは、文化が異なっても大切なのはどんなものか、その上で自分はどう振る舞いたいか。文化の異なる人を前に自分はどう振る舞えるか。
それを身を持って体験し、実感できることにあると思います。
4日前に中国へ出発するとき、私は「中国に詳しい先生方や、中国出身の先生方と一緒に回る」のが楽しみだと書きました。
もはや、学ぶことが多すぎて消化し切れない毎日です。
大衆文化の価値。抑圧された経験と解放。
自らの長所を明示すること。相互にそれを認め合うということ。
こちらはご結婚をされたお家。ご多幸を祈念します。
人を迎えるって、どういうこと? 人を迎える態度って、どういうもの?
自身の行動は、どんな雰囲気を生むものなのか? その感覚は共有できるのか?
共有できる人とは、それなりの経験も理解もできる。でも、だからこそできる人が、できるときに伝えないと。伝えてこそ、進む理解があると思っています。
※豚の生肉はE型肝炎ウイルス感染の恐れがあります。現地の人は抗体があるのですが、渡航者は感染・発病の恐れがありますので、食べるのは控えるべきと思います。(私は今回、現地の話で盛り上がった雰囲気でうっかり食べてしまいましたが…)
できる人が伝えないと。そう、課題は持ち続けるために見つけるものではなく、解決するために見つけるものなので。仕事は続けるためではなく、終えるためにするものであると、私は信じているので。
そういや、学生が留学する動機ってどんなものがあるのだろう?
切っただけでこの模様って、大理石って本当にすごい。(@雲南・大理)
20歳すぎまでに留学をすることのメリット。それは、他国民や文化の異なる市民の生活を目の前に見て、その中に身を置いたときの感じを全身に受けること。
それによって、生活の中で人(←自分という個別の事例でなく)が欲しがるものは何か、将来の市場を形成し得るものはどんなものかということを、少しでも身を持って体験することにこそあると私は思います。(私自身は留学をしていませんが。)
(※以上の写真は順に、大理の喜洲鎮の市場、麗江古城でいただいた郷土料理、麗江の沙渓鎮寺登街、喜洲鎮×2、麗江古城、沙渓鎮寺登街x2、大理古城近くの郷土料理、大理でお世話になった「川野旅館」=大理草堂客桟、喜洲鎮の楊暢軒宅で撮ったもの。)
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24日に到着した北京を25日の早朝に出て、この日の午後は雲南省の麗江に滞在。25日は大理古城に泊まり、26日朝にその町を走り、夕方に昆明に移動。27日朝は昆明の街を走った後、昆明理工大学での会合と交流セミナーを終えました。
出会ったすべての人に感謝します。
28日の早朝、昆明を出て上海経由で関空に向かい、呼んで頂いている生化若手の夏学に向かいます。(これから走りに行くところ。)