続けるためではなく、終えるために

 専門性の高い仕事に就きながら、その時点での専門性に甘えていたら、次はありません。それは確かですけれど。
 高い専門性を持つ人を雇用しておきながら、任期の後に次のステージのキャリアを示せない機関も、少なからず私は目にしてきました。そこでの仕事が高く報われず、苦労している人のことも。

 私が今はっきりと認識しているのは、そんな現状(がある場合に、それ)に対しての危機感が欠如した所であったら、そんなトップにも組織にも協力したくないということです。例えば研究機関で言えば、「データは見えるけど人は見えない」というような人(上司)と、一緒に仕事をしたいとは思えません。
 だって、私はデータじゃありませんからね。

 もし私が仕事仲間を選べるのであれば、「いま自分たちの目の前の課題をこなすことで、その人自身次のステージを思い描ける人」をこそ選びます。もちろん、今はそんなことを許される状況ではありません、が。
 だからこそ私は、仲間に仕事や物事の担当を考えるときに「それを越えることで、その人が報われるかどうか」を考えます。もちろん、うまくいかないことも少なからずありますが、その意識を共有する雰囲気は、何より大切にしたいと強く思うのです。

 何をすればその人が報われるかは、人によって全員違います。そこを間違えないことが、チームで動くときには重要ですし、そこを意識的にコントロールすることが、チームをまとめることの醍醐味でもあります。

 確かな想いは、目の前の課題はいつか必ず解決したいということ。となると、一生その人その仲間と、その課題に取り組むことは起こり得ないわけです。

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 そんなことを私が考え続ける理由の一つは、私の理科大講師としての任期があと1年半ちょっとであるということ。その先を真剣に考えてくれる教授に、oO(私のことは気にしなくて大丈夫)と言いそうになって、あまりに失礼だと思って何度も言葉を飲み込みました。
 しかし、そう思わせてくれることだけでも私はとても感謝しています。

 たとえいつか、パーマネントの職位(任期無し雇用という立場での職)に就いても、さらっと仕事を終えて辞められるようでありたいです。私は仕事を続けるためでなく、仕事を終えるためだけに力を尽くす、と心に誓いつつ。

 私自身、2年後に思い描く “次のステージ” に進める自信は皆無です。しかし、その可能性はゼロではないです。わかっているのは、進むためのチャンスを頂いているということ。試されているということ。やりたいことをやらせてもらっている、ということ。そして、ダメでも生きていこうということ。

 一生試されたい。試されるに値する人間で、一生ありたいものです。

 

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