研究背景の棒読みがNGなわけ

 研究発表をいろいろ聞いていると、序盤で「もう聞きたくないな」と思ってしまうものに出会うことがあります。

 それは、「研究背景を棒読み」する人の発表。

 研究背景には、自身が取り組む課題になぜ挑む必要があるのか、何が明らかで何が不明なのか。不明な範囲のうちのどの部分に、自分が光を当てようとしているのか。そもそも、自身がどこに問題意識を持っているのか。何を、なぜ、解決したいのか。そんな内容が含まれているわけですよね。

 それが棒読みって、どういうこと?

 その課題は、自身が問題意識を持って取り組んでいるわけではないの? 誰かの受け売り? それとも、自分では何も考えていないことをアピールしたいの?

 聞き手としては、人の受け売りの言葉を聞くくらいなら、自分でその“元の人”の意見にアクセスしたり、同じ内容を自分で調べたりした方がずっと良いです。どんなに研究歴が短い人であっても、発表するのであれば、私は「その人自身が考えたことや、問題意識を聞きたい」のです。それが無いとわかったときのガッカリ具合は、半端なものではありません。

 学生には、何かしら「外で通用する力」を大学でつけてほしいと思っています。

 ひとたび外に出れば、研究でなくとも棒読みなんてした日には仕事はありません(少なくとも、自身の力で勝負する仕事であれば)。例えば、市民講演会などで話す機会を頂くと、そこにはその分野に強く関心を持つ人ばかりが集まっているのです。その緊張感も、半端なものではありません。生半可な背景知識や課題意識なんかでは、一瞬で相手の意見に(それが偏った考えてあったり重大な誤りを孕んでいたとしても)潰されてしまいますから。
 交渉の場面や、何かを決定する価値ある会議の場でも同様です。

 ま、私の仲間には、自分の頭で考えない方はいないです(と信じています)が・・・^^

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 昨日は、ラボの卒研生(研究を初めて半年の学生)の中間発表会でした。彼らにとっては、貴重なアウトプットの機会です。

 アウトプットをためらってフィードバックを受けないより、アウトプットすることでそれを受けた方がずっと良い場面がある。そんなことを、学生にもっと感じてほしいと思っています。もちろん、有用なフィードバックには批判も含まれ、逆に批判の中にも解決の種がたくさんあるということも。

 私が “なかなか「答え」を言わない” 一つの理由も、まだ考えを整理中の学生の方に、「とにかくひとまず、思考の経過をアウトプット」してもらいたいことにあります。アウトプットは、その人自身が効果的に展望を描くための、極めて有力なプロセスなのです。

 だから、“見かけ” きれいに誰かがまとめた背景を棒読みすることなんかより、限られた時間で粗削りでも、何とか自分で考え上げたことを言って見た方がずっと良い。私はそう思うのです。


 ゼミで発表者が棒読みを始めたら、退出する権利がほしいものです。