化学物質はなぜ嫌われるのか

 今回も遅ればせながらですが、佐藤健太郎著『化学物質はなぜ嫌われるのか』(技術評論社、2008)を読みました。“薬屋さん”(売る人、作る人=製薬研究者)も薬を使う人も、化学物質のリスクに関心のある人も、よく知っておかねばと思うことがたくさんありました。



 化学物質が体にどう作用したり、どのように影響を及ぼしたりするのか。これは、私が専門にしてきた衛生薬学の、主要なトピックスの一つです。衛生薬学は、それがよく保たれている(いわゆる衛生状態の良い、もしくは安全基準がよく機能している)ときには役割が見えにくい側面があります。過去の失敗から学び、様々なもののリスク管理が進められてきた今は、衛生薬学に求められるものも以前とは各段に変わっているでしょう。

 一方、厳しい安全基準に基づくリスク管理の下で、「使い方次第で大勢の患者を救える有望な薬が、審査を通過できずに埋もれている可能性も大いにある」という事実。その事実は、効果と危険とを踏まえて、新しく有用なものの “うまい使い方” を見出す必要性を示しています。私が岩波『科学』2012年10月号に書かせていただいた、曝露シナリオの区別の必要性ともつながるものがあると思います。

 他にも、環境問題について「因果関係のわかりやすい問題はすでに解決し、難しい事柄だけが残ってしまっている」こと。

 「あまりに化学物質の害に過敏になり、取るに足らないリスクに対して巨額の対策費用を投じ、」(費用対効果)「有用な化合物を葬り去るようなこともまたあっては」ならないということ。(※参考「リスク対策の難しさ」)

 何かの危険の可能性や環境問題について、「嫌疑がかけられたときにあれだけ大きく取り上げたマスコミは、安全宣言についてはまるきりと言っていいほど報道していません」ということ。「そのため世間と専門家の認識が全く食い違っていること」(環境ホルモン問題を例に。)

 食品添加物を無条件に嫌う主張を見聞きすることがありますが、もし「保存料がなかったら」「パンや菓子は腐敗しやすくなり、食中毒などのトラブルが多発」したり、「さらに廃棄物が増える」ということが起こるであろうということ。これは化学物質の恩恵にあやかる私たちが、その恩恵を忘れてしまっていることの悪しき一例であること。


 (以上、「 」は本書からの引用です。)

 最後に、化学物質の毒性を表す指標の一つに、半数致死量(LD50)というものがあること。しかし、サリドマイド(S体)による副作用や、2013年に発生したK社の化粧品の問題のように “死ななければ安全” というわけでは到底ないこと。

 安全性は一つ二つの指標で示されるものではなく、それを証明することは容易でもありません。しかし、ここをもう少し網羅的に、かつシンプルに示す方法が見出されることで、化学物質に対する世間のイメージがもう少しでも変えられないかなぁと。
 本書を読んで、そんなことを改めて思ったところです。


メディア・バイアス(松永和紀著、光文社、2007)
ゼロリスクの罠(佐藤健太郎著、光文社新書、2012)

 PS. 話は変わりますが、本書の最後で取り上げられている耐性菌の出現は、菌の進化の速さを示しているように私は思います。耐性菌の出現のメカニズムを、進化の観点から研究している人っているのでしょうか。いたら話を聞いてみたいものです。