物事を成すのに必要なものは「つなげる人」と「ブレーン」

 物事を成すには、その集団にいなかったような新しい人材が必要なことがあります。何かを変えたり成長したりしようとするとき、改革を取りまとめ、実現可能性と実効性とを取り仕切れるトップとして、「文化」の異なる人を呼び、招き入れることも多々あります。
 「文化」が違えば、考える順が違います。表現の仕方も語り方も、言葉の使い方も違います。コミュニケーションの取り方が違います。つまりは、たとえ母国語が同じだとしても「言語」が違うのです。

 そのために文化の違う人を迎えるときには、展望や方向性をシェアした上で、その「言語」の壁を乗り越える必要があります。よほどのオーナー企業でもない限り。字面に出ず語られない、裏にある相手なりの論理を読む必要があります。
 誤解などは日常茶飯事。それを失敗と落ち込む材料にしたり、タスクから切り離したりすることなく、誤解の読み解きを繰り返す。そんなことが、新しいものを創るときや、時代に合わなくなる現行のシステムを刷新するときに必要になります。繰り返しですが必要になるのは、「文化」の異なる人、「言語」の異なる人との意思疏通です。

 そこを理解し、異なる文化の風を入れる時点で違いを「通訳する」と腹を括り、展望を実現すること。それ無しには、革新も文化の交流も実を結び得ません。そして、変われなかったら時代に忘れられ、他に替えられていく。

 異なる文化と共同作業をしたことのある経験は、次にまた異なる文化との共同作業をするときにたしかに役に立ちます。もちろん、経験は権威になり得ません。それらを理解することに、若いうちから文化どうしの様々な接点に触れることの価値があると思います。その価値を知ると、単なる経験のリストや肩書きの権威など、文化が違えば汚れやシミと大差ないと痛感します。
 なお、文化は国籍を言うのではありません。越えるべき壁が潜む文化どうしの接点は、新たな分野を生み出す異分野連携や産学連携にも存在するのです。しかも存在する場所は、私の表現しうる範囲ではこの程度ですが、実際にはもっと色々とあることでしょう。

 そして、経験は権威としてでなく何の役に立つのかというと、次を実行するための選択肢を増やしたり、価値あるオプションを増やしたり、そのオプションの価値や実現までのロードマップを正当に評価するためにこそ役に立つのだと思います。

 そこまでを理解した次に、改革を取りまとめるトップを見るとき、私はその取り巻きに想いを馳せることがあります。何かを実現するには、それが大きくインパクトのある場合ほど、取り巻きが重要です。日本ではあまり聞かないように思いますが、ブレーンというやつです。予見し得ない問題に対応すべくブレーンを準備し、彼らに動きやすさを保証すること。戦略の実効性やその成否は、そこにすべてが懸かっていると言って過言でないと思います。
 改革を志す人は、自らの取り巻きにこの「ブレーン」を準備する視点が必要だと最近強く思います。

 ともすればブレーンは、日本語にすると首脳や牽引者と対極の、調整役やサポート役という印象かもしれません。が、決してブレーンは随伴者でなく、単なるコラボレーターでもなく、調整と判断材料提供のプロとして必要なのです。

 こう書いていて、1年前のこと、コミュニケーションに関する私の研究成果について、とても意義深いが自然科学の大学で取り組む必要は必ずしもないかもしれない、と言われたときの危機感を思い出すことがあります。判断材料を提供できるのプロは、コミュニケーションとかプロジェクト評価の検証といった所にある問題を見つけ、実践につながる解決策の発見や対応策の体系化に取り組んだ先に育つと思うからです。

 だから、今こそサイエンスの業界で、科学研究に取り組みながら「調整」を語れる人間が必要ではないかと思っています。ついでに言えば、これからの時代のコミュニケーションや教育システムに視座を持った場から、将来のブレーンが輩出されてほしいと。そう期待しつつ、切に願っているところでもあります。

 できないトコは知らんよと思いつつ、でも他人事ではないと思いつつ。

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当事者になるつもりがない人(TAMESUE)