大学院生の教育環境とキャリアパスを「ガチ議論」@第54回生化若手夏学

 琵琶湖の畔、近江高島白浜海岸で開催されている第54回の生化若手夏の学校に、わずか18時間でしたが参加してきました。


 (朝は琵琶湖畔を走っていました。)

 「大学院で学生が十分に教育を受けるためには?」

 パネリストとして呼んでいただいていた、この議論。参加前の私が持っていた考えは、学生を指導する立場にある教授のあまりある弱点(←一人の人間なので当然ある)をどうフォローするか、ということでした。

 しかし、ちょっと違うんですね。

 大学院教授に “値しない” (けど教授職についてしまった)人に、いかに学生が煩わされない環境をつくるかの方が重要だし、ずっと本質的。これでも解決しない程度の弱点であれば、既存のしくみと大学院生自身の力で対応できる。そのように大学院の構造が変わるようにこそ、私たちは働きかけなければならないんですね。

 で、そうなると、研究を通して「専門知を活かす」という実践を提供できない場は淘汰されていく。そうなると、優秀な教員を揃えて運営できる大学の数は減るのかもしれない。
 結果的に、地方の小さな国公立大学や少なくない私立大学は、消失するかもしれません。消失するとは言い過ぎでも、少なくとも従来の研究機関・大学院としての機能は失います。その是非は問題になりますし、これに抵抗するのは誰かということにも注意は必要です。

 が!

・限られたリソースでどこで何をするのか
・過剰な再分配が、適切な淘汰の原理を妨げていないか

 それこそを考えなければいけないのです。

 ふむ。

 一方、構造的変化は実現のに時間がかかるので、「今もしくはもうすぐ大学院生になる人のために」のことを別に考えなければなりません。それについては、SNSなどを含めてしっかりと生の情報を共有することによって、「受けたいトレーニングを受けられるラボ/場」に身を置いてほしいと思います。



 さて、議題はもう一つ。

 「若手研究者の多様なキャリアパス形成を促すアプローチとは?」

 こちらは、当日の参加者自体に「研究者以外も考えるがそれは難しいし、まずは研究者としての進路ありき、ダメなら他を考えるが、どうしろというのか」という雰囲気があったように感じました。なかなか議論の難しい課題でした。

 現実をもう一度言うと、アカデミアボジションだけに “しがみつく” 考えでは、先が見えないのは当たり前なんです。一つの業界だけでしか生きていけないこのデメリットは、他の業界でも同じこと。

 ここで繰り返し強調したいのは、卒業したり学位を取ったりした後にできる仕事というのは、まず間違いなく、今あなた自身が知っている以上に多様であること。自身の思い描く何かを「実現する」手段としての研究ひとつにしても、そのやり方や形というのは、思っている以上に様々であるということです。

 よく、博士のキャリアパスが問題に取り上げられますが、これは本質的には修士卒でも同じです。○○○にトライしたいけど、自分には絶対無理だと思うので・・・という声に、「トライしたいなら、やってみなきゃ」と言えること。そして、それに近いチャレンジをしてきた人を例示できること。

 大学院をそういう環境がある場にしたいと、強く願ってやみません。

 私が昨年度まで所属していた理科大の薬学部では、様々な進路に進んだ卒業生が来る実践社会薬学という講義があります。これは主に、大学院生でなく学部生を対象にするものですが、卒業後にできる仕事の “リアル” やその多様性を学生が感じることのできる貴重な機会になっています。(個人的には、もっと多様な業界からの卒業生を並べてほしいし、並べられるはずだと思っていますが。)

 そんな場は大学が準備しなくても、学生自身の方から情報を取りに行くべきという指摘はもちろんあります。しかし、その指摘はほとんど正しくないと私は思います。それは、繰り返しますが卒業後にできる仕事というのは、学生自身が知っている以上に間違いなく多種多様であるからです。

 ま、これの解決は大学に求めるのでなく、「仕事を始めてからでも、違う仕事にいくらでも身の置き場を変えるのがいい」ということを体現しながら、そういう雰囲気を広げてしまう、という解決策もありますが。ここでは「大学(院)のできること」という観点で解決策を考えてみました。



 この出張中、なんだかいろいろな所で、しゃべれる限りしゃべり続けてきてしまいましたが。少しでもこれからの学生のためになればいいなと思っています。



 またお会いしましょう。