苦労せずに卒業してください

先達の苦労なんて、自分が後追いでしようとなんて思えません。
自分がしてきた(と思われる)苦労を、自分よりも若い人もしたら良いかもなんて、もっと思えません。

自分が経験してしまった苦労を、いかに “次の人” がせずに前に進めるようにするか。その力こそが、社会を成熟させ、発展させるのではないの? と思います。

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今日は理科大(薬)の大学院修士課程の、修了審査のための論文提出日でした。審査に値する論文を書いてもらうのは、たしかに簡単ではないし、どうしたって直前に苦労はします。

だけどね。

本当は、そんな論文を、最後は苦労なく書かせてあげられるように。自身が考え、検証してきた成果を自身で過不足なくまとめ上げられるように。

問題の背後にあるもの(背景)を理解し、仮説を立てて検証し、自身が何を明らかにできたのかを明示できるように。(――それは、自然科学の研究だけにしか使えないような狭苦しいものなんかじゃありません。)

それを、本当は修士論文を書き「ながら」ではなく、書き始める「前に」つけさせてあげたいし、そうさせてやる必要があるのです。本当は。

はっきり言えば、それができなければ大学院も教員も、その肩書きを名乗って存在する価値なんてないのです。

大学院生の力を伸ばす役割を、教員がどれだけ果たせているか。どれだけの機会を共有し、どれだけの世界と、社会と触れる感覚を知ってもらうか。私の恩師が、私にそうしてくれたように。
勝負はもう、ほぼ「前に」ついているのです。

逆に修士論文の指導や、その審査をする段で追い込まれるようでは、その程度なんだよね、ということです。

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そして、自分がそこで、どれだけの価値を提供できただろうか。

ある程度は「できた」と思います。でも、本当はもっとうまくやれると思うし、やりたいし、しなくてはいけないと思います。
今年の修了生がした苦労を、来年の修了生がせずにクリアできるように。何を伝えられるか。何を体系化できるか。

そこで勝負したいと思います。

たくさんのことを教えてくれた既卒生に感謝しつつ、これから陰で私も、次のステージに進もうとする学生のサポートをさせて頂きます。(あ、そんなサポートはもう要らないか。ごめん。)

卒業生の頑張りに敬意を表します。(甘やかしはしません。)
2014年、卒業の季節を前に。

卒業論文(学位論文)の書き方(2012年1月5日)
卒業論文(学位論文)の書き方-2(2014年1月7日)