論文アクセプトを祝うべし

 昨日は、昨年末にアクセプトされた論文の祝いパーティーでした。


 図表やタイトルページを掲げて撮るの、いい感じ!

 振り返ってみるとこの研究は、研究室のほぼすべてのリソースを活かし切った内容でした。研究室にある数十の(現役の)実験・分析機器のうち、この実験で使わなかったのは片手で数えられるほどです。
 分析や記録に加え、まとめに際しての心の面でも学生(同僚)みんなのサポートがあったと、卒業生本人が言っています。感謝やね。

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 さて、前回のアクセプト祝いの直後に、修士1年の学生が書いてくれたブログは→こちら

 私は以前に、研究者は論文が書けなくてはいけないのか、などとここで書きました(→こちら)。その答えは、以前に書いたように「どちらでもいい」のですが。
 そもそも「書いてオープンにして初めて伝わる」ことがあるのだと、最近改めて強く感じています。そして、その「伝わる」ことの価値の大きさも、やってみて(オープンになって)初めて分かる部分が小さくないのだとも。

 「伝わる」論文を書き上げるのは、人から見ると少なからず大変なことなんだろうと思います。だからこそ、どれだけのものを形にしてきたか(論文を書いた経験があるか)が評価される、ということもあるのでしょう。
 ・・・そう考え直すと、研究業績で評価されるのは業績に挙がっているリストの多さなんかではなく、自身が中心となってまとめ上げた仕事の履歴なのだと理解できるようにも思います。

 もちろん、論文アクセプト以外にも祝い事は尽きない(ようにしたい)ので、次回は2件ほどまとめて2ヶ月以内に開催で!

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 最後に別件ですが。
 ある決断をすることが半年後でも10年後でも良いとして、でもそのうち決断はすることで、決断の迷いや失敗への恐れが “時間の解決してくれること” でないのであれば。決断も失敗も、早い方がお得だと思います。

 また後ほど。