ポスドク問題くそくらえ

 私は4年前に博士課程に進学したとき、実は「ポスドク問題」という言葉すら知りませんでした。これは、あとで後輩にも驚かれましたが、今でもポスドク問題くそくらえ、任期付きくそくらえと思っています。
 ・・・というか、定年までそこで仕事していいよって言われたい人って、どのくらいいるんでしょう?

 そんな私ですが、「アカデミックポストで活躍する」ということは、次のことと同義であると思っています。

・「どういうラボであれば」(←場所も大切!)
・「どのように」
・そのポストで仕事・研究をできると思うのか?

 「どのように」の点について、もう少し。
 例えば大学院生も、ある場所では学位や業績以外に得られるものが無いともし思ったときには、その場から早く離れた方がいいです。次のポストを得るときに最終的に評価されるのは、学位や業績「に至るに値する能力」であるからです。

 以上を前置きした上で、大学院生ではなく研究員や大学教員として研究をしていきたいと思ったときに、意識した方がいいと思うのは、次の2点です。

・何の対価として給与を受け(てい)るのか
何で評価される(されたい)のか

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 2013年6月30日(日)、生化学・生物物理・脳科学の三若手合同セミナーで、生命科学系の大学院生・若手研究者とキャリアパスについて講演・意見交換をしてきました。

 中高の教職、製薬企業、国立の研究機関、官公庁の方々のお話も伺うことができました。その中で、給与の「対価」というのは(学校であれば)学生の命を預かることだったり、(企業であれば)知的財産の秘匿であったり、企業(大学のラボとは規模が違う)の命運を握る規律の遵守であったり、自らのアイディアのアウトプットを抑える我慢であったり、自由の束縛であったり。
 そういったいろいろなものがあるのだろうと、改めて感じてきたところです。

 話を変えて、大学院生の先輩でかつ教員の私が、ラボでどのように学生に接しているのか、ということについて。これについては、以前にもここで書いた次の2点をいつも大切にしています。

なかなか答えを言わない私
・自身のしたいこと(希望や興味)を、「自分の言葉で」表現する力を


 それをできてこそ、「自分の判断の基準」も自信と共に持てるようになると思うからです。後輩には「出来合いの言葉」でなく「自分の言葉」を使いこなすことで、自分の主張や描く展望、ロマンを伝えられるようになり、自分の視野を広げていってほしいと思うところです。

 それにしても、自由度が私にとって重要なポイントであると、今日も改めて思いましたよ。

 今日で2013年も、半分がおしまい。また明日。