「やりたい」気持ちを大切にしてくれた小学校の先生を訪れて

 私には小学校に、自分に大きい影響を与えてくれたなぁと後になって思う先生がいます。私が小学6年だったときの担任です。その担任は、私たちが6年になるタイミングで中学校から異動されてきた先生で、それまでに会ってきた先生とは違った落ち着いた雰囲気のある先生でした。

 当時の小学校で、年に2, 3回あった授業参観。その保護者が来るときには先生の決めた内容でなく、こちらが「○○をやりたい!」と見せる内容の提案をして、それをやらせてくれたのを覚えています。その記憶は、普段の授業とは違う合奏などをやらせてもらったことに加えて、あとで「普段の授業の様子を見たいという大人もいるから、あまり勝手なことを言い過ぎないように」と親に言われた記憶とセットで。親がそう思ったというよりは、きっと誰か他の大人がそう言うのが親の耳に入り、一応私に注意をしてくれたのでしょう。

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 でもね、やりたいことを仲間で考えて、準備して、やり切る、ということを何度かやらせてもらえたことはとても大きなことでした。色んな人がいる大人のごく一部に多少の嫌味を言われようとも、それが一番。小6のときの担任は、子どもたちの「やりたい」という気持ちを守って育ててくれる先生だったのだと思います。その大切さは、高校生や大学生以降の少なくない人に「○○をやってみよう」と自分ではなかなか動けなくなってしまっている人を最近もなお見るにつけ実感します。

 逆に、小さい頃から「やりたい」という気持ちを折られちゃっている人が多すぎるんですよね。2023年秋のVoicy Fes '23でも木下斉さんが、伊藤羊一さんとの対談で言っていました。子どもなんて遊びなさいなんて言わなくたって遊んでる。何かが痛いなんてことがあってもすぐに立ち上がる。でもだんだん動けなくなってしまう人が少なくないというのは、「やりたい」気持ちを折られる場面が小学生や中学生の時期に経験するものや、社会の中に多すぎるんじゃないかと。(なお、このイベントでのトークは2023年11月中までしか聴けなかったのですが、その中でこの伊藤・木下対談は最高でした。なんでこの対談が、視聴者の投票によるランキングで上位に入っていなかったのか理解できません。)

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 じゃぁ、子どもたちが自分の「やりたい」気持ちを大切にして動けるようにするにはどうするか? それはまず、気づいた大人がそうすることでしょう。知らなかったことを新しく知ろうとすること(=勉強すること)、新しいことを毎日試してみたり、チャレンジしてみたりすること。子どもの近くにいる親なり他の大人なりがまずそれをやって、新しく見える世界を広げていく楽しさを見せていくことなしに、そうしなさいなんて子どもに言っても効果はないでしょう。

 最近の話題で、子どものスマホやタブレットの使用をどう考えるかというのも同じことです。まず隣にいる大人が、PCも含めそんな道具を使って得られる情報の大きさや、できることの価値を示すこと。大人が家でそれをしていなかったら、子どももそうではない使い方ができるかもなんてなかなか思えませんよね? それを、有意義な使い方ができないならと子どもから取り上げるのは本当に愚かでやめるべき。子どもはいつだって、周りの大人より創造性豊かで探検家でモチベーティブです。そんな小さい人たちから学ぶべきは大人の方だし、大人の方が小さい人たちの可能性を潰すことがもっともっと減ってほしいと思います。

 私の通ったその小学校が、今年度いっぱいの2024年3月に閉校になるそうです。私の小6のときの担任は今そこの最後の校長を務められているのですが、「学校閉まっちゃうんだってよ!」という呼びかけを同級生からいただき、この年末に先生を訪問してきました。上に書いたような私の小6のときの記憶を「そんなことはあったっけなぁー」と言いながら、でも今も私たちや、一緒に訪問した小さい子たちへの目線や言葉が優しい先生です。好き勝手にしゃべるこちらを、温かく見守ってくれる落ち着いた雰囲気は、小学生のときにかけてもらったものと変わらず同じだったのだろうなと感じられて、何とも幸せな気持ちになった時間でした。

 通った小学校が閉まってしまうことには寂しさもありますが、変わるものがある中ですべてが同じ姿であり続けるわけではありませんし、変化をきっかけに久しぶりに声をかけてくれた人がいることがそれ以上に嬉しいこと。今回ご挨拶をできた先生のような落ち着きは私にはまったくありませんが。それでも違ったスタイルでもいいはずなので、私も自分よりも若い人たちの「やりたい」気持ちを後押しできるようであろうと思います。もちろん、そんな風に思わなくても自分がひたすらに「やりたいことをやる」「まずはやってみる」ことを続けるのみ。それが一番。