紅葉も終わると冬は冷えるとも聞く京都は、今どのような景色でしょうか。写真は5月下旬。今年はこの嵐山で初めて人力車に乗ったのでした。
基本的に2人乗りの人力車。「2人」に幼児はカウントされませんが、5歳の人がそれにギリギリのところだったので、親子3人一緒に乗るのは5歳の初夏が最後のチャンスだったようです。間に合ってよかった! なお、この写真の道はやや登っているので引いてくれる人が力感に溢れていますが、ほとんどの時間は軽快に小走りをしながら、周りを楽しく解説もしながら案内をしてくれました。移動を人力でサポートしてもらうことには慣れていないのですが、たまにはそんな経験も良いのかもしれません。
西側の車両では、現・山陰線の線路からトロッコの線路(旧・山陰線のもの)が分かれるところも見られます。観光路線として、鉄道史跡とも言える旧線を見せ続けてくれるのは嬉しいこと。もちろん、保津峡の景観あってのものですが。
旧線(トロッコが走る路線)は川沿いにずっと蛇行。京都と近郊のベッドタウンを結ぶ経路として使うのは大変だっただろう、と言うのもうなずけます。
嵐山の他には隣のエリアの龍安寺など。
龍安寺の有名な「方丈庭園」は1400年代の室町時代、応仁の乱の前からの歴史を持つもの。応仁の乱以前と聞くと、時代を実感できるような気がします。
こちらも有名な「吾、唯足るを知る」の蹲踞(つくばい)。言葉は古代中国の書物『老子』からのもので、元の文は「足るを知る者は富み、努めて行う者は志有り」と続くものです。「蹲踞」というのは庭園に置かれた手水鉢のこと。これ自体は水戸光圀が寄進したものの複製とされています。
龍安寺の鏡容池。ゆったりと早朝回れるのは初夏ならではでした。また暖かい時季に来たいものですが、冬もまた良し?
こちらは仁和寺の金堂。御所・内裏の紫宸殿(ししんでん)を江戸時代初期に移築したもので、現在残る紫宸殿の遺構のうち、最も古いもの。
元々888年に建立された宇多天皇時代からの寺院で、中心となる「宸殿」は御所の紫宸殿を模していたと言われるそうです。宇多天皇は摂関家の藤原時平の影響を避けて法皇となりここに移ったので、それなりの居が必要でもあったわけですね。
宇多天皇が信頼したものの、藤原時平を中心とした勢力によって太宰府に左遷されてしまった菅原道真公に縁ある逸話もここに。
今は毎年、将棋「竜王戦」の二日制の対局も一局ここで行われます。
素晴らしい空間ですが、静謐を保たなくてはならない対局の準備は大変なんだろうななどとも思いつつ。
初夏によく見られる、食べられないサクランボ。
このまた隣のエリアの金閣寺に小さい人たちと来たのは、4年前の2019年末。建物一面の金色は2歳にならない人にもインパクトがあるので、京都に初めて来る人とまた来たいものです。もちろん、混雑しない時間帯に。
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この5月末は、出張の合間にうまく空いた週末を見つけて京都に来る機会を得たのでした。いろいろと違う場所を、違う時間に歩くことはとても楽しく、また色々な町や土地の姿や歴史を知るという意味でも有意義なもの。2024年も「2ヶ月に3回」は新しい所に旅行をするぞということを続けていきたいと思います。
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※嵐電の“骨董品級の車両”はまもなく引退していくそうです。→先頭が丸い!? 嵐電に異形の新型車両「KYOTRAM」導入 「戦前生まれ」古参車両は引退へ(乗りものニュース、2023年5月30日)