鎌倉の北条氏にゆかりある伊豆・修善寺

 2022年7月の三連休は修善寺に行ってきました。峠の多い伊豆にあって、沼津へと流れる狩野川沿いの比較的傾斜の緩い土地にある温泉街です。

 小学生との約束で来た小田原と興国寺城跡(沼津)へ行くための宿泊地として来たのですが、歴史ある温泉地に美味しい食事にと良い場所でした。


 重みのある構えの修善寺。807年に空海弘法大師)が開いた寺とされています。


 ただし真言宗の寺であったのは1200年代までで一度廃れてしまい、1409年に伊勢新九郎(後の北条早雲)により曹洞宗の寺院として再興されたという歴史も持ちます。

 1200年前後というと、鎌倉時代の初期。その時代に、平氏との勢力争いで源義経(頼朝の弟で義朝の九男)とともに活躍した源範頼(義朝の六男)が、平氏滅亡後に頼朝に疑われて幽閉されたのが修善寺。その門前にある筥湯が、範頼の最期の地と言われています。

 鎌倉幕府初代の将軍となった頼朝が急死した後、18歳で家督を継いだ源頼家御家人とうまくいかず、幽閉されて北条義時の手勢に襲撃されたのも修善寺(1203~04年)。7月17日のNHK大河ではその前の時期に、頼家が頼朝時代からの宿老たちと対立する様子が描かれていました。
 頼家の墓のすぐ横には、母である北条政子(頼朝の妻、北条時政の長女で、義時の兄)が最期を悼み建立したという指月殿や、頼家を最後まで守ろうとした家臣十三士の墓もあり、歴史の舞台であったことを実感します。


 この十三士は、頼朝後の同じ時期に「十三人の合議制」で執政した13人の宿老とは違う人物。『鎌倉殿の13人』もなかなかに複雑ですね。

+++

 修善寺というと、東京から直通の特急踊り子号の一部が乗り入れている場所というイメージだけを持っていましたが、峠の西側には金鉱の跡まであり歴史も文化も豊かな場所でした。少しだけ続きます。

 ➡こちら

umerunner.hatenablog.com