金山城(群馬・太田)と足利(栃木)に歴史好きの人と

 12月上旬の週末に行った、群馬・太田の金山城と栃木・足利の鑁阿(ばんな)寺。出先で見る2019年秋の最後の紅葉になりました。どちらも、城と歴史にはまっているうちの7歳の人のリクエストで行ってきた所です。

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 金山城は、今の太田市の中心近くに1469年から1590年まで、つまり戦国時代に存在した山城です。自然の地形がうまく使われ、見るからに難攻不落の要塞。

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 城の区画(曲輪)を分ける尾根には、これでもかという言わんばかりの堀切が設けられていたそうです。(この模型で、縦に茶色で切られているのが堀切。)

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 また、この城で見つかった土塁石垣の遺構は、戦国時代の関東の山城に石垣の城はなかったという説を覆す存在なのだとか。
 丘の水の流れが盛んだったために、土塁石垣は当時何度も補修が重ねられたのだそうです。

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 本丸のあった場所は、今は新田神社になっています。そう、群馬=上野国の武将と言えば新田氏ですね。鎌倉時代末期から南北朝の時代に、栃木=下野国を地元に持つ足利氏と並び立った武将です。

 新田氏は、この時代の覇権争いでは足利氏に敗れる結果になりましたが、時代が下り現れ天下を統一した徳川家康と少なからず縁があります。家康の「徳川」姓は、新田の親族である「得川」に由来するもので、この姓で征夷大将軍の任を受け得る河内源氏清和源氏の一流)の流れをくむことを示したのだそうです。

 ・・・と、うちの7歳の人が本を見せてきて教えてくれました。歴史好きと町を歩くと勉強になります。

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 城近くの高台から見る、太田の町の眺めもきれいでした。晴天だったらもっときれいだったかな。ここは太田駅から距離は近いのですが、標高差は大きくないものの短くない急坂を登った先にあります。トレッキングウェアで登ってきている、いくつかのグループの人とすれ違いました。

 山城というと半年前の夏には大分の岡城に行きましたが、あちらと同様に金山城も、歩き甲斐のある史跡でした。

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 この太田と、前述の足利は隣町。「足利」と言えば室町時代の将軍家。その名を冠する町ということで、将軍家ゆかりの地ということが分かります。

 その足利にも、金山城から直接足を伸ばしてきました。今は鑁阿寺になっている足利氏館跡の周りに来ると、

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 歴史的に重要な場所であったのだろうと思わせてくるこの堀。こちらも、東武足利市駅やJR足利駅から徒歩圏内(こちらは坂なし)です。

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 鑁阿寺イチョウの黄葉が見事でした。

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 そのすぐ近くにある足利学校。学問に生きる者であれば水戸の弘道館と同じく外せない場所ですが、今回は時間が足りず中までは見学できませんでした。また来たいと思います。

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 足利学校の正面近くにあるお店「銀丸」。ここの白米と味噌(味噌汁)が大変に美味でした。7歳の人もとても気に入っていました。

 この週末が明けてから2週間ほどバタバタしていましたが、バタバタしつつ踏ん張って迎えたのは年末。もう少し歴史巡りの旅をしてきたいと思います。

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