歴史と忍者と茶を巡って長篠~伊賀~甲賀

 年末の仕事を納めてすぐに、今年最後の旅に出ました。今回は滋賀と京都に目的地があったので、そこに歴史巡りのスポットを加えて東海から近畿を回ります。

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 7歳の人がやる気満々です。

 初日は朝5時すぎに利根川を渡り、常磐道、首都高、東名で「東海道」へ。丹沢の南を進み、6時半ごろ秦野中井を過ぎるとすぐ、目前に大きく現れる富士山に感激。
 箱根の山の北縁をぐるっと回りつつ御殿場まで来ると、今度は右手に富士山が見えます。今度はここで目を覚ました7歳の人が、「宝永の火口の部分もよく見える! 1700年ごろ(1707年)の大噴火でできたやつ」と感激。

 富士山から左(南)に、緩やかな傾斜面の裾野が広がっているのもよく見えました。これを見て、この広い裾野が神仏の鎮座する場になるのを想像したのが御殿場の名の由来か、などと思いましたがそんなことはなく。江戸時代初期にここに、将軍も使うことを想定した宿泊所(御殿)を造ったことに由来するのだそうです。
 御殿場からは、1年半前の夏に福井(恐竜)に行ったとき以来の新東名。富士山の裾野の南をグルっと回ると、左手遠くに少し見える海が駿河湾。今度は7歳の人は「駿河湾! タカアシガニがいるところね!」と図鑑で見たものを思い出して興奮していました。覚えておこうと思います。(でも言ってた本人はたぶんカニ食べない。)

 東海道随一の茶の町、静岡の真ん中で渡るのは安倍川。安倍川といえば「安倍川もち」ですが、この名も由来は江戸時代。茶店の店主がきな粉を砂金に見立て、餅にまぶしたものを家康に献上したところ、家康がこれを喜んで名付けたという話によるのだそうです。
 次いで渡るのは今でも広い大井川。ここでの歴史といえば、江戸時代の東海道に橋を架けないどころか、渡し舟も設けなかった話。その理由は、この広い川に橋を架ける技術がなかったことや、川越人足の仕事を守ったことなどが考えられています。箱根関のように人の往来を監視するのが目的ではなかったであろうという話を含め、調べてみると面白いことがたくさんありそうです。

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 道中の眺めを楽しみながら、初めに立ち寄ったのは愛知県の東端にある長篠城址。来たのはやはり最近歴史にハマっている7歳の人のリクエストですが、長篠というと有名なのは1575年の長篠の戦いかと思います。
 しかし行ってみると、なるほどここが戦国時代の「今川」「徳川」で有名な東三河とあって、徳川家康が力を付ける前に東から迫る武田氏の力に対する最前線であったことが分かります。織田・徳川方のここの城主・菅沼氏が1571年に武田信玄に屈し、同年に三方ヶ原(長篠の20km南東)で信玄が織田・徳川を破るも、その信玄が73年に没したのを機に再び長篠城は家康の配下に。武田勝頼がこの長篠で大敗北を喫してしまうのが、そのまたわずか2年後の1575年と、短期間にここで時代の潮目が渦巻いていたのが感じられました。
 武田氏はその7年後の1582年に滅亡してしまいますが、本能寺の変で信長が倒れてしまうのも同じ1582年なんですよね。怖い時代・・・。

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 長篠城址、鉄道ではJR飯田線の駅から近いようです。

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 ただの広場にも見えてしまう本丸跡に、いくつもの遺構が残っていました。北側の谷には小さな滝も見えましたが、本州を貫く断層「中央構造線」の地下の力で、谷によく滝ができるのだそうです。

 長篠に寄った後、愛知は伊勢湾岸道で名古屋港の近くを通りながら三重に入り、東名阪、名阪国道で「忍者の町」伊賀上野に向かいました。

 東名阪の亀山JCTでは起きたばかりの事故での渋滞に遭い、歪んだ車と散乱したガラスを見て安全第一を肝に銘じながら西進。しかし、この事故はネットでもまったくニュースとして見ないので、こんな事故が日常至る所であるということなのですね。怖いこと・・・。

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 安全に着きました、伊賀上野城。鉄道では上野市駅伊賀鉄道)から徒歩圏内です。

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 城の上からの眺め。南に久米山の丘。その向こうに布引山系も。うちの小さい人たちが、町のいくつかの所で紙製の手裏剣をもらいました。1歳の人は手裏剣も「おホシさま、キラキラ」と喜んでいます。

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 昼食に、上野市駅のすぐ近くにあったニカラ食堂に寄りました。伊賀牛や黒豆腐の食事が美味でした。湯のみにもグラスにも忍者。ここで1歳の人(もうすぐ2歳)が緑茶好きであることが分かりました。外が冷えていたこともあり、7歳の人が苦くて飲めない温かいお茶を嬉しそうに飲んでいました。

 この日の宿をとった宇治(京都)に、伊賀上野(三重)から行くと途中に信楽(滋賀・甲賀市)を通ることにここで気づき、そこにも立ち寄ってきました。国道422号の三田坂バイパスが2018年2月に開通していたようで、カーナビで見た以上に簡単にアクセスできました。家康が本能寺の変の直後に、堺から三河へ命からがら逃げ帰った「伊賀越え」(甲賀伊賀越えとも)で通ったかもしれない道も、今はトンネルで往来できる時代に。

 ノープランでの夕方では、窯も轆轤(ろくろ)も見学できませんでしたが、山間の信楽の細い路地の中をゆっくりと進んだ中で、

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 卯山窯さんに立ち寄り、突然の訪問でしたが温かく迎えてもらいました。写真にはありませんが、きれいなギャラリーでは光の透ける不思議な「透器」なども見て楽しめました。
 小さい人たちと「忍者の町」伊賀に寄ってきたことを話すと、「こちら(甲賀)にも忍者がいるよ! 伊賀とはライバルよ!」と言われちゃいました。そうですよね。

 この信楽、鉄道では滋賀県内を走る信楽高原鉄道でアクセスできます。来て見つけたポスターで初めて知ったのですが、いま連ドラの舞台になっているとのこと。 

www.nhk.or.jp

 ここから宇治に向かう道中では、信楽の銘茶「朝宮茶」の茶畑がいくつも見られました。国道307号で茶屋トンネル(裏白峠。ここも家康の「伊賀越え」の路)を抜けると、茶が宇治茶に変わったりするのも道中楽しみながら、「初日」の旅を終了。この日は宇治に泊まり、翌日朝一番に久しぶり(小さい人たちは初めて)の平等院に向かいました。

+++旅程+++
谷和原(守谷/つくばみらい)
 ↓ 25分
小菅
 ↓ 50分
海老名
 ↓ 35分
御殿場
 ↓ 50分
静岡
 ↓ 35分
浜松(これを過ぎて茨城・守谷~福井・勝山の中間点)
 ↓ 15分
新城  ←(10分)→ 長篠
 ↓ 25分
岡崎
 ↓ 15分
名古屋南
 ↓ 40分
亀山
 ↓ 40分@名阪国道
伊賀上野城