明智光秀に縁深い丹波の道を篠山へー京都北西部から兵庫に至る

 明智光秀を主人公として先月放映の終わった『麒麟がくる』、終盤の舞台である丹波亀山(亀岡)や福知山も短い期間ながら盛り上がったようですね。

京都・亀岡の「麒麟がくる大河ドラマ館・・・「麒麟ロス」効果、最終日に10万人突破(2021年2月、京都新聞
「麒麟」効果で人もくる 福知山城 一時休館でも入館者過去最多(2021年3月、毎日新聞

 うちは2020年の一年間、小さい人がこんな本を見ていたので、光秀公の話の後半が丹波に来ることを知っていました。が、

 その年限定の企画の準備をした地域が、物語の終盤にだけ登場するというのは酷だなぁ(なかなか登場せずPRもされない!)と思う話もあったように思います。もっとも、どこであっても平時から混雑と渋滞を避けて訪れたいところではありますが。

 「丹波」と呼ばれるのは京都の北半分〜兵庫の中央部で、山の多い地域です。亀岡から西に篠山へ、山間部を光秀の第二次丹波攻略に縁のある城砦が並ぶエリアが伸びています。
 
それでこういう面白い記事も。
ライバル意識バチバチの兵庫と京都・・・「ヒョーゴスラビア」における県境とは (4)丹波(2021年2月、ラジオ関西
 ※まぁ本当は「県」という単位はだんだん意義を失ってきているはずでもありますが。

 この「第二次丹波攻略」縁の地に沿って今は国道372号が通っています。しかし、これが鉄道も高速もないルートというのが面白い。愛知から山梨の間の、織田氏と武田氏が覇権争いをしたエリアもこんな感じだったのを思い出しました。

 交通の行き来が昔も今も多い東海道などと違って、平時の往来が少ないながら一時的に重要になった道は、この丹波の道の他にもあるように思います。そもそも光秀の1回目の丹波攻略の試みはこの道を経ておらず、北東側の福知山から直接黒井城を目指していることから、亀岡からの進路に道と呼べるものがなかったのかもしれません。とはいえ一方で、山陽道東海道のように昔からあった大きな街道の方が数は少ない、というのもその通りであるわけですが。

 なお、今は国道372号になった亀岡~篠山の道は、江戸時代になると篠山が重視された経緯もあってか西京街道として整備されます。さらに今では、京都から姫路まで大阪・神戸をバイパスして結ぶ緊急輸送道路としての役割を担っており、決して平時も往来の少ない経路ではなくなっています。

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 亀岡から篠山を抜けてさらに北西の端に位置する、黒井城。光秀の丹波攻略に最後まで抵抗した「丹波の赤鬼」赤井(荻野)直正で有名です。
明智光秀を追い詰めた、“赤鬼”の城 黒井城(1)(2020年11月、萩原さちこ氏)

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 小さな山の頂にあった城で、登ると足元の広い景色を眺めることができます。しかし、戦いのあった時代にこんな所を攻めるのは物理的に無理でしょ・・・とも思わされます。

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 この黒井城跡の麓には、春日局生誕地・興禅寺も。行ってみると思わぬ歴史の舞台に驚くこともあるものです。

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 篠山の町から東に見える、八上城のあった場所。こちらも小さい山の上。一度は光秀方に与したと見せて寝返り、第一次丹波攻略で黒井城を攻める光秀の背後をついた波多野氏の居城です。
明智光秀の丹波攻略のクライマックス 八上城(1)(2020年12月、萩原さちこ氏)

 ここと黒井の間の山には、両者間の通信を分断するために光秀が築いた金山城というものもあります。この400数十年前に積まれた石垣が遺っているということですから、使われたのが一時的とはいえそれなりに堅固に造られたのでしょう。史跡もちょっと視覚的にインパクトのあるものが遺されているそうです。

 そしてこれが篠山の町。今も中心に、広い水堀に囲まれた城郭が堂々と座っています。

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 篠山の駅というと、JR福知山線篠山口という駅があるのですが、これが篠山の市の中心からは5km離れているのを最近知って驚きました。しかし、交通が便利にならなかった分もあってか、城郭の周りにも穏やかな城下町の風情が残っています。伝統的建造物群の保護地区と指定されたエリアもあります。

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 名物に猪肉を使ったぼたん鍋があり、お昼を抑えても夕食に頂いたら満腹を超えそうなボリュームだった、という思い出も。

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 さて、そして篠山城。江戸時代初期に徳川氏が、豊臣秀頼の残る大坂と西国大名とを分断し、大坂包囲網を敷くために築いた輪郭式の城。1609年に「天下普請」として築かれました。
徳川時代の到来を示す篠山城(2021年2月、萩原さちこ氏)

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 ここは一枚岩の丘陵に位置し、石垣を造るために石を割ったり井戸を掘ったりするのも難航した末に築城されたらしい。裏を返せば今も地盤は強いということでしょうか。

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 復元された大書院の中には、江戸時代の雰囲気を遺した展示も。町にも伝統の和菓子店が飾りも色彩も豊かなお菓子を置いていたりするので、小さい人を連れての散策もオススメです。

 
こんなことばかり考えていたら、うちの小学生と同じく城や戦国武将の好きな小学生の友達が先日、「次はどこの城に行くのがいいかな!?」と訊いてきてくれました。歴史の経緯が分かる、本物の史跡をたくさん見ていきたいものですね。もちろん、泊まりの遠出をしなくても良い場所はたくさんあるはず。