平将門ゆかりの海禅寺で紅葉狩り(守谷・高野)

 茨城県南の守谷は、室町時代古河公方配下の相馬氏が本拠を置いた町。その相馬氏が平将門をルーツとした縁で、守谷には将門にまつわる史跡が複数見られます。「平将門伝説」が市のホームページで解説されているほどです。

平将門伝説守谷市、歴史と文化>小中学生向け)

 守谷城の大手門があったとされる場所には「平将門城址」の碑も、守谷小学校のすぐ裏に。

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 小学生たちが走り回っている校庭のすぐ裏にもこんな史跡があるとは、面白いものだと思います。

 11月も中旬になった先週。紅葉を楽しんでいたところに友人から、うちのお寺でも紅葉が色づきましたと。遠出しなくても楽しめる紅葉を是非に、とお知らせをもらい、行ってきました守谷・高野の海禅寺へ。バスに乗りたい2歳の人も一緒に、守谷駅からのバスに乗って。

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 常総ふれあい道路を、イチョウの黄葉の輝くけやき台までGo。

 と軽い気持ちで向かってみたものの、向かうお寺をGoogle検索したら「平将門公史跡」と出てくるし、冒頭の守谷市HP「平将門伝説」の中にもそのお寺が載ってるしと、ビックリしながらのお寺訪問でした。

 お堂には九曜の紋も。常総一言主神社にも同じ紋がありますが、これは守谷も2002年まで属した「北相馬郡」の地名にも残っている、相馬氏の家紋なのだそうです。

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 (鬼瓦や破風に九曜紋の入っている、一言主神社の御堂。)

 一言主神社の九曜紋は、1400年代半ばに相馬氏が再建したことによるもの。こちら海禅寺は、それ自体が相馬氏の菩提寺であった縁によるもの。いくつかの資料でもその話を確認できます。

海禅寺(日本伝承大鑑>茨城)

 身近なものでも調べてみると、歴史とつながった話が転がっていて面白いものだと改めて思ったところです。もちろん、初めの目的だった紅葉も楽しませてもらってきました。

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 海禅寺はこの写真で左手奥の方。手前にあるこんもりと盛り上がった森は、守谷にある小さな城の跡です。その城の名前が分かる人は、かなりの城好きのはず。(私は、かなりの城好きの小学生に連れられて知ってしまっただけです。)

 それでは、また次の季節に。

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