新しい分野と肩書きを持った今年考えたこと

 私が新しい分野(薬学→工学)の新しいラボに本務を移してから9ヶ月余り。先週は、年末を迎えて前ラボの教授とも、ささやかな忘年会を行う時間を持ちました。前ラボで11年間お世話になった私自身に、当時から一緒で1年余り先に博士課程修了予定の大学院生。共にそれぞれが、一緒に研究をしたいと思った人に歓迎してもらえるレベルに育ててもらったことが、前の教授に何より感謝してもし尽くせないことだと感じる時期の節目です。
 もちろん、やりたいのに未だに上手くできないということが減るわけでもないので、そこを悔しく思うことも少なくないのですが。



 夏休みを迎えた4ヶ月前にも書きましたが、今いる新しい分野のラボは私にとって、学生としてでも学ぶことがたくさんあるワクワクする場所です。そこに私自身のPh.Dとしての専門知識や強みを持ち込む機会をいただき、ましてスタッフとして役割を持った立場で、どうしたらその知識や強みの価値を高められるかということを考えさせられたことも、この上なくありがたいことだと感じながらこの年末を迎えています。

 また、前の分野での講師という立場から研究員として新たな分野に入り、学生への研究指導が必ずしも義務ではない立場にさせてもらった上で、自分が将来ある学生にどう関われるか、小さいながらも何を伝えられるか考えながら実践することができたことも、なかなかし得ない貴重な経験でした。大学院生という自分より若い彼らと、同じ場所で同じ時間を過ごし研究という問題解決に取り組むことに、自分こそが提供できる価値とは何なのか。薬学と工学との垣根は決して大きくないとは言え、元の専門分野の異なる人たちと研究を通して交わせる普遍的な価値とは何なのか。それらの存在と価値の大きさとに気づかされながら、毎日楽しく、ときに(いや、いつもか)時間の有限性のプレッシャーを感じながら研究に没頭してきたこの9ヶ月間です。

 また、今年度から新しい分野で非教職の研究員となって一番良かったことの一つは、肩書きで人を見ている人たちとの縁から労せず離れることができたことです。私自身が引き続きもしくは新たに一緒に仕事をしていく仲間との関係を、その人自身の面白い部分にこだわって築いていくこと。それを築くことにこそリソースを割けること。以前からそうしていたつもりでも、自分の肩書きを変えてみないと気づかなかったこともたくさんありました。

 物事を動かすのは肩書きではなく人です。これには違うご意見もあろうかと思いますが、事を成すのに肩書きが必要だと思う人が、一生肩書きにこだわることに私は反対しません。ただ、私自身は物事や人に対してそういう姿勢では相対したくありません。そしてそれを実践していくことで、立場の強くない人たちの背中を押せるような人間でもありたいものだと。そんな気持ちを心の片隅に置きつつ、まぁ毎日小さな発見をできていることを喜び楽しんでいきたいと思います。もう少し喜びの閾値を上げておいた方がいいのだろうかという気になることもなくはありませんが、それは300年くらい先に解決できたらする課題としてどこかに埋めておきたいと思います。

エラくなる前に「人」が見えるようになる経験を

 とまぁ、年末は忘年会とやらで普段と違う場所で人と話すことも多く、色々と考えたいことを思いつく時期です。一方で、目の前にやりたいことや今やるべきことがたくさんあり、思いつきながら考え切れていないことも多々あるような気もする、そんな今日この頃です。