大切にしたいのは扉探しと素直さ―大学でまた新年度を迎えて(2019)

 ラボワーク(研究室、つまりゼミ)へのエフォート100%で大学にいる私が学生と触れるのは、学生生活の最終盤に差しかかった人たちばかりです。そんな彼らに研究室生活で経験してほしいと思うのは、彼らが自分自身手に入れたい何かを手に入れるために、自分で何ができるのかを試行錯誤することの繰り返しです。

 大学4年、もしくは大学院生の彼らにとって、その先社会に出た後のことは分からないことが少なくありません。その彼らとやり取りしたいものが、一方的な答えの授受であることはあり得ません。そこは知識をつけるために何かをするのでなく、何かをするために知識をどう使うのか、新たな知識をどう得るのかを、失敗も経験しながら多くの試行錯誤をすることになるステージです。

 先の行きたい所や自身が手に入れたいものが漠然としてしまう場面も、少なからずあるところで、目の前にただ今はまだ閉じている扉だけがあったりもする。しかも、その扉は開け方をまだ誰も知らないものであったりもする。扉がどうなっているのか、どうしたら開けて向こうを見られるのかは分からないのが普通でもある。
 扉が縦に横に並んでいる数も、誰にも見える状態でないことも多い。というか、どの扉が見えているか見えていないかですら、人それぞれ違うもの。

 私にも自分で開けてみたい扉がたくさんあるし、試行錯誤を繰り返している真っ最中。そして、学生たちとそれぞれの扉探し、その開け方探しをもっともっとしていきたいと思っている。

 そうだよね、と思いながら読んだウェブ記事が、年度替わりにいくつかありました。そのうちの一つがこれ。

滑り止めの大学に入ってしまったらどうするか(doukanaさん、2019年2月14日)
 大学で身につけるべきは「自ら学び、考える能力」だというのはその通りだと思います。そして、「吸収する自分」ができているか、というのも重要な話だと思います。

 私は今、元々の専門分野とは違う学科の研究室に来て、そこの学生と一緒に仕事をすることが多いのですが、その中で先日あったこと。私は学生に、元の専門分野である薬学・生物学の側面から、化学物質や材料が体にどう働くかといったことや、それらの医療での使われ方の話をすることがしばしばあります。
 実験をしながらひと通り話をした後、「これで話したいことはひと通り全部話せたかな」とこちらが言ったら、即座に「でもきっと、まだたくさんあるんですよね」という言葉が返ってきたのです。
 あぁこの人は、新しいものを吸収したい人なんだな、もっと吸収できるしその準備もできている人なんだろうなと思った場面でした。とっさに言えるお世辞としても、何か新しいものを自分が得たいという意思表明としても、こんな学生と一緒に仕事をできたらもっと楽しいだろうななどと思う仕事の研究室生活の一幕でした。

 大学に来ているのは、何かに興味を持ち行く先を模索している学生たち。特に大学院は、専門を深めながら色々な経験をする場所で、色々な可能性を自身で選んで試行錯誤していくことがその人を成長させていく。そこで重要なのは、自身の持つ価値観や専門性をいつもアップデートすることを恐れないこと。どんどんアップデートして過去の自分を塗り替えていくことが成長だと思う。
 ・・・という言葉をどこかで見たような気がして思い返してみたのですが、たしかTwitterでの@Tatsu_Fujimoto さん⇒これでした。


 写真は4月の初旬、卒業して少し時間の経った研究室の卒業生と前夜にしゃべり倒した後、早朝からの出張のために泊まった羽田から。



 自身の気持ちに素直であれることは強さ。私にとってとても嬉しいことは、そう思わせてくれる仲間、とくにそんな後輩が周りにいてくれることです。しゃべり倒してそう思いながら見て明けた朝の景色は、いつも以上に澄んで輝いて見えました。

 素直であることは強さ。なのですが、そうあることで不安になることも、多かれ少なかれ長かれ短かれ、誰しもあるだろうと思います。学生としての最後の時期や終えてまもない時期に、そんな不安を抱いてしまいもする人たちに、素直であっていいんだよ、素直であるからこそできることがあるんだよと言葉と振る舞いをもって示せるようで今年度もあろうと。そんなことを願いながら、私も迎えた新年度。やりたいこと、できることから私もしっかりやります。