【北陸・富山】高岡から五箇山へ

 土曜までに仕事をバタバタと終え(と言ってもいくつも持ち出してますけど)、その夕方は取手の花火大会、明けて日曜に北陸新幹線で新高岡へ、さらにバスで五箇山に来ました。

五箇山富山県南砺市
 Gokayama info in English

 3歳になった頃は、いつおむつが取れるのか期待できなかった3歳児が、保育園の年少組になって急にトイレが上手になり、旅行の荷物が減りました。北陸新幹線はくたか」で、日本海を遠くに眺め、黒部川を渡った向こうに山を見つつ…



 五箇山白川郷に向かう世界遺産バスに、新高岡から乗ったのは私たち以外に2人だけ。でしたが、城端を過ぎ、五箇山に近づくにつれて乗る人がどんどん増えました。



 短い距離ながら、険しい峠を越え…



 五箇山の入口、城端から一番近い集落は「相倉」。


 (相倉:Ainokura village)



 夏野菜に枝豆や山芋などの天ぷらは、具材も衣も美味しくてタレが要りませんでした。



 そういえば、他国から来た人が、軽食処でアイスコーヒーを注文するのを聞いて、最近日本の観光地でコーヒーをよく見るのも外国人観光客が増えたからなのかな、と思ったり。

 和紙の里・下梨を過ぎて次は、上梨の村。



 「こきりこの里」の書かれたささらアーチが迎えてくれます。ここで有名なのは、1600年台の建築様式を伝えるという「村上家」。アーチのモチーフになっている民俗楽器「こきりこ(筑子)も、ここで体験させてもらいました。



 内壁が黒いのは、囲炉裏(いろり)で炭を焚いて出た煤(すす)とのこと。真っ黒!
 この囲炉裏の煙を屋根裏まで上げて、上の階で行っていたのが養蚕。囲炉裏の下の熱では、蚕の糞や植物を混ぜて発酵させ、できた堆肥を濾した水を煮出し、火薬の原料となる塩硝(硝酸カリウム)を得ていたそうです。これについて、菅沼にある塩硝の館の器具展示が興味深く、ケミストには外せないスポットでした。

 平地が少なく米を十分に取れないこの地では、養蚕による繭の生産、塩硝、そして和紙すきが重要な産業だったそうです。



 雪深く、土地も狭い。その地域で、最も効率の良かった建築だったとのこと。今でも、約30年おきに萱を葺き替えているそうです。

 平家落人の里とも言われる五箇山ですが、それ以上にインパクトのあったのが、ここに復元されている流刑小屋。


 川向いに、ポツンと一つ。

 五箇山は昔、受刑者が流されてきた地なのだそうです。トンネルが開通する1984年(!)まで、雪の積もる冬には、船でしか行き来できなくなったのだとか。それでもこの辺りの標高は300~400mほど。「地理的に隔離される」ことの意味が、今とそれ以前とでまったく違うのだと思わされました。



 こちらはさらに奥、西荒尾の岩瀬家。加賀藩の時代から重要な宿だったために、板や柱のすべてを硬い欅(けやき)の材で造ることを許されたとか。



 この屋根まで、金目や釘は一切なく、それも建て替え・葺き替えを容易にしているそうです。はー、すごい。

 朝は、この前から菅沼の集落まで走っていきました。




 (菅沼:Suganuma village)

 合掌造りの集落を道路脇の展望台から見ると、かわいらしい模型のようにも見えるのですが、下から見上げた屋根は、やはり重厚感があります。





 なお、私が走れば往復12分ほどの距離を、夕方には3歳児と70分ほどかけて歩きました。





 3歳児もよく歩くので、ご飯がいっそう美味しかったですよ。

●2018年夏、3年ぶりに再訪してきました⇒火薬の村・五箇山から薬の町・富山(2018年8月)