自由に走れる喜びを

 2015年8月15日、甲子園の第一試合の中継で、アルプススタンドにいらした早実・和泉監督のお父様がインタビューを受けていました。

 今、こうやって球児たちが野球をできる時代が続いてるということがありがたい。自分たちのときは戦争で、高校での野球を1年しかできなかった、と。
(一字一句拾えてはいませんが、趣旨を拾って書きました。)

 スポーツを、体を動かすことを楽しめること。それは本当にありがたいことだと心で頷きながら、この言葉を聞きました。今も、それを楽しめない紛争地域があります。戦争や紛争でなくとも治安や風俗・慣習上の理由で、自由気ままにスポーツを楽しめない人も少なくありません。

 2年前にも来た美ヶ原高原で、高地1900mを走る3歳児を追いかけた数日前にも、同じことを思いました。世界のどこでも多くの人が、こう自由であれますようにと。



 そんな終戦70年。

+++

 戦争は絶対にダメという言葉を上げること、その言葉を共有することにある程度の効果はあります。ですが、それだけでは平和はもたらせないとも思います。
 この時期、表に出ている平和への想いや、既存の事実の表層を並べるばかりのマスメディアには大方うんざりしています。平和を揺るがす前提だとか、外交で重要なのは何なのかとか、そういったことを掘り下げる気づきを与えるものがまずもって無い。

 今この瞬間も、戦争や紛争の中にある地域があります。平和の到来を実感できないどころか、平和がどんなものか到底想像できない人々も間違いなく存在します。そういったことが、平和を祈念する「終戦70年」のこの時に、もうちょっと共有された方がいいのではないかと感じています。
 そのための具体策を示せないのが、歯がゆいところではありますが。

 どうしたら人が人に殺されない社会を作れるのか、平和な社会が崩れないよう、歯止めになるのは何なのか。それについて、もう少しいろんな気づきの機会があればと思っているところです。