悔しさに寄り添い、成長を助け合う『みんなのきょうしつ』

 子どもや若者に先生と呼ばれる者でも、人の発達・成長とどう向き合うことは、そう簡単ではないと思います。先生が「人」を見ておらず、周りの若者が自身で語る言葉を全然持てていない、ということも少なくありません。それだけ、目の前の人と相対することは、多くの課題と可能性があるのだとも思うのですが。

 先日、編集者の牛島美笛さんがご自身が編集された本を送ってくれました。著者は、小学校のクラスを担任として監督した立場の方で、本の題名は『みんなのきょうしつ』。子ども達が一つ一つ経験を重ねて成長する中で、先生と呼ばれる立場の者は彼らにどう次の世界を見せるのか。小学校高学年のクラス担任が、それを語った言葉を見せてくれるものです。



 振り返りは間違いなく、その人が自身で感じ、考えたことを明確にします。それを言葉にしておくことは、その経験を他者と共有することにつながりもします。言葉は本当に素晴らしいもの。

 本書でも、担任の具体的な行動や試みに対する反省が、前半よりも後半でより具体的に述べられていると感じました。前半では著者の成功した、良くなかったという言葉が目立つ一方で、後半に入ると、教員自身の具体的な提案個々に対する自己評価が入るのです。そういう変化が(実際にあったとすると)、日常の仕事を言葉にすることの最大の効果なのだろうと思います。

 この本を読みながら、私が小学六年だったときの担任を思い出しました。その先生は、生徒が勝手に挙げてきた提案を否定することなく、その提案をベースに一緒に企画を作ってくれたことを、今でもよく覚えています。
 その年のあるとき、母にこう言われたことも覚えています。それは、あなた(子ども)たちのわがままを聞くのも先生は大変なんだよ、という主旨でした。他のクラスと違うことをやることで、担任にかかる負担(子どもの保護者や他の教員からのプレッシャー含め)のことも、知ってほしかったのだろうと思います。一方で、逆に先生はどう考えていたのだろうかと今でも考えることがあります。この本を読んで、当時の先生の考えの一端を知れたような気がしました。

 子どもの成長を見守り助けるということは、良い返事や反応を褒めることばかりではありません。逆に何かに反応したいのにうまく表せず、もしくは反応の仕方が分からず、人がぐっと悔しさを噛み締める場面。そんな場面で子ども達は、悔しさを目や表情に見せることがあります。それも、決して少なからず。
 そういった、日々の生活の中での小さな悔しさに向き合い寄り添うことこそが、子どもの成長を伸ばすことなのかなぁと感じます。もちろん、子どもの挑戦を応援することも。そうやって子どもを見守る「先生」が、どういう気持ちで彼らと接しているのかということが、この本には表現されています。

 子ども達が生活する中にいると、一緒にいるときの反応がわかりやすい子がいれば、すぐには挨拶などの反応をしない(できない)子もいます。気持ちを器用に言葉や表情にする子もいれば、ちょっと不器用な子もいます。
もっとも人は、大人だからと言って器用な反応をできるわけではないので、大人の方が子どもの見せる器用な反応に勉強になることも多いわけですが。

 一方で、これだけクラスの日常を振り返る先生をもってしても、やはりすべての生徒の心に寄り添うことは容易でないようにも見えました。
 一読者として私は、各章を読みながらそこに登場しなかった子ども達の気持ちを、どうしても想像しようとしてしまったり(もっとも本という形では、各章に全生徒のことを書くことはできなかっただろうと思いますが)。また、全体の雰囲気とトーンの違う個人やグループに、どう気を配るのかということが気になったり。人が自分と違う気持ちを抱く他者を、いかに想像の範疇に入れられるだろうかと思案したり。そういったことを人が身につけられる過程には、どのようなものがあるのだろうと考えたりしながら、私はこの本を読み進めました。



 個人的には、もっと「うまくいかないこと」の例を挙げて掘り下げてほしかったとも思います。が、うまくいかないことを並べたのでは、本にならないのかもしれません。かくも、うまくいかないことも外に表現することは難しいのかと。ただ、そう思って私はこれを読み進めた分、年度末の「3月10日」の章はインパクトがあり、何度も読み返しました。

 子どもは生を受けたその瞬間から、どんどんユニークさが出てきます。それを大人は個性と言うかもしれません。が、子ども自身にとってはそれが「自分」であり、他者を指しては「友達自身」に他なりません。
 子ども達の学習を、彼らが相互に助け合える環境づくりの話には、大学での学びの場づくりに参考になることも多々あります。成否のポイントは、初めの動機付けと雰囲気の醸成の二点でしょうか。全体を観察し続けて気を配り続けることはsupervisorの責務ですが、初めがうまくいけばあとが何とかなる部分も大きいのかもしれません。

 教員が小学校で工夫をした例とその手応え。そこから、子ども達と向き合う中でうまくいっていないことをどう汲み取るか、そのときに何ができ得るか。そんなことを読者として考え直したいなぁと思う一冊でした。私も数冊購入して、知人に勧めたいと思います。