続けること、止めること

 日曜日の夜、直近4日間(木曜まで)に片付けたい仕事を書き出してみた。ザッと23個。うち、翌日(月曜)までにやり終えたいと思った仕事が10個。

 もう期限までの時間とか見かけの重要性とかはまったく考慮せずに、一番やりたいことからやらせてもらうしかない。月曜に5時間、火・水に5時間、木曜に5時間使えるとして、23個を計15時間で終わらせるには、1個平均39分、か。そして、1個にかかる時間を1分ずつ減らすだけで、総所要時間を23分短縮できる計算。
 ・・・とか言っていたのだけど、39分間でできるほど簡単な仕事なんて、手元になかったわけで。

 月曜日の昼間、というより家に帰ってさらに22時すぎまでかけて、10個のうち完了できたものはわずかに4個。おいおい。

 いかに余裕を持つかでなく、余裕がないときでもいかに頭を柔らかく、視野を持てるかが問われている。
(「柔ら」と変換しようとしたら、自宅から一番近い高速のインターチェンジ谷和原」が画面に現れて心癒された。)

 水曜日、共同研究者の方針変更のため、仕事を手放して1つ減った。それでも残りは13.5個。優先順位を変更し、翌日(木曜)にやり終えるべきことを2.5個に絞る。(こうして仕事は溜まっていく、のかも。)

 アウトプットの質を上げるために、頭をいつでも柔らかくしておきたい。この水曜の夜に、本を2冊購入した。

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 いま私に求められている力。それは、一緒に仕事をしたいと思う人とこそ仕事を組み立てていける、その力だと思う。というと、仕事を選ばせてほしいという主張と混同されそうな気もしたが、まったくそれとは別の次元の話。
 人や仕事が「素晴らしい」かどうかと、「私と一緒に」仕事をして幸せになれるか、「私が関わって」うまく進められるかということは、まったく違う尺度。だから、そこは迷うべきところなんかじゃない。

 最近、今の自分に無理だと仕事は、経過途中であってもキッパリと断ることを意識する。続けるためにどう変えたらいいと考えるかは、ハッキリと伝える。変わらずに無理だと確信したら、キッパリとやめる可能性を示す。それは本当に続けていいのか、それに本当にその人が関わるのがいいのか。
 続けることに意味がないとは全然思わない。そうではなく、続けることを指向することに無批判であっていはいけない、ということ。思考を停止することは、私の担当じゃない。

 継続は力なりという言葉があり、続けることに価値があるとは大方理解をされてしまう中、何かを続けることの是非を疑わずにいることは、ある意味楽かもしれない。
 でもだからこそ、「続けない方がいい」と思ったものを続けられないと言わないこと。少なくとも私は続けられないと言わないこと。そうすることが、相手が誰であれ誠実な態度とは思わない。とくに、相手の方が目上であるならなおさらのこと。

 判断すべきことを先延ばしにしないこと。自身ですべき判断を人に押し付けないこと。

 そんなことを感じつつ、今朝も私は本を読む。次には私が良い本を書く、いつかできるかも分からない、そのときのためにも。

 堀江貴文さん『ゼロ』。仕事をすることは単に価値を産み出すことではなく、自分にも価値を産み出すことができるのだという経験をすること。そう思いました。

 そして、私もいろんな意味で節目にある今。所詮は小さな終わりの次に、その先を見据えることのできる仲間との仕事にこそ、私は力を尽くしたいと思います。

議論は目的ではなく手段
続けるためではなく、終えるために

 

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