議論は目的ではなく手段

 決断をすることよりも議論が好きな人って、少なくないと思います。議論することこそ大切だという人には、求める出会いのチャンスが多いことでしょう。

 そのような出会いを手に入れるためには、次の二つの方法があります。

 ①一度決まりかけたことも、積極的に振り出しに戻しましょう。
 このときに、振り出しに戻す「理由」を説明する必要なんてありません。なぜなら、議論することこそ大切ですから。そう考える人が、喜んで議論に加わってきてくれることでしょう。
 一度決まったことはどう扱えばいいかって? これから決めましょう、の一言で十分です。議論こそを大切にする仲間が、以前と同じ議論にもまた乗ってくれるに違いありません。

 ②対案は考慮に入れず、積極的に既存の案へ批判をしましょう。
 既存の案を批判できれば、その案を掲げた議論を続けて行うことができます。対案を出してしまうと、現在取り得る最善の策に辿り着いて議論が終わってしまいます。いくらbetterな案が目の前に上がろうとも、夢想のbestを求めることで決して議論は尽きないことでしょう。
 どんなに時間と労力をかけようとも、まだ見ぬベストのみを追い求める営み。なんと素晴らしいことでしょう。

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 なお、私はそのような議論はお断りです。私にとっては議論は目的ではなく、「決断する」「決断のスピードを上げる」ための手段に過ぎません。
 はっきり言って、決断するための議論こそを大切にする人とでないと仕事にならないとすら思います。時間も体力も有限の資源である以上、それらを浪費する人とは仕事なんて共有できません。

 もちろん、議論するための議論はあって良いと思いますし、私自身、仲間と楽しんでそれをすることもあります。
 でも、仕事や企画・プロジェクトを進めるには…ね。

 さようなら。

「情報を集め」て「決める」こと
聞き手の心をつかむ技術(超初級編)

 

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