リスクの問題に横たわる“個人差”

 先日、『「ゼロリスク」の罠』の感想を書いたところ、お世話になっている臨床の先生の一人が、Facebookから次のようなご意見をくださいました。

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 リスクを被る側の人間の感受性の違い(年齢、性、遺伝子多型、民族の相違など)によって、各個人が実際に被るリスクには大きな差異が生じるということを、我々は常に認識したうえで、この議論をすることが大切だと思います。
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 重要なご指摘でした。被るリスクに個人差があることは、私も大きく気になっていることの一つでもあります。
 全体としては回避コストが高くても、感受性の高い集団の所在が分かっていて、そこに集中的に対策ができれば、実際の回避コストを下げられるはずなのです。

 私は、「全体としての回避コストが高い」ことを“言い訳”に、実際には偏在している(つまり、見方を変えれば“全体”に存在するわけではない)リスクへの対処がなされない例があることを気にしています。先のエントリでは、これを「リスクの偏在・分配」とサラっと書いてしまったのですが。
 実際には、リスクが偏在しているといっても「対応」は全体に行うしかなく、回避コストが結局高いことが、「対応がなされない」(できない)原因なのかもしれません。しかし、この感受性の個人差やそれによるリスクの偏在は、もっと考えられるべきポイントなのではないかと思っています。

 「感受性・脆弱性の違いがリスクの偏在の一因になっている」ということが、言葉が正しくないかもしれませんが、あるように思うのです。

 この辺り、私自身がもっと勉強しなくてはいけません。しかし、とにかく“何かおかしいんじゃないか”ということを私はよく感じています。そして、何とかもっと前に進みたい、進めたいと強く思うところです。


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 なお、「高感受性集団」とウェブ検索すると、いろいろ興味深いページが表示されます。これについては、1年前に私自身も好き勝手書いてますが。

リスク評価の方法(書籍紹介)と私の考え(2011年10月7日。とくに後半で。)

 「高感受性集団」をGoogle検索した結果は、→こちら

 これまで、感受性決定要因を包括的に捉え(ようとし)た取り組みや研究は、どのようなアイディアでなされてきたのでしょうか。私は、「個の差を包括的に」理解することに拘りたいです。
 もちろん、個別に詰めなければならない点を蔑ろにしてはいけないのですけれど。