もしそうなったら、何をしようか

 毎日問うてもいい疑問。

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 起業して、何をするの?
 社長になって、何をするの?
 留学して、何をするの?
 学位を取って、何をするの?
 教授になって、何をするの?

 何をしたいの?
 何を目指したいの?
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 ・・・誰にでも毎日問うていいわけではありません(と、私は思います)が。

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 目指したいものは、本当にそれなの?
 それを目指すには、その方法がベストなの?
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 ・・・自分の実現したいことを実現する方法は、実はまだ知らない方法なのかもしれない、と疑うことも有意義なプロセスだと思います。

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 あるものに憧れて、それに「なる」ことを目標にするというのも悪くありません。しかし、「そうなったときに何をしたいか」という問いに対する答え無くしては、ならない方がいいものも私はあると思います。
 それでも「いい」のであれば、いいですけどね。もし「それになった」ときに、何をすれば良いのか(したいのか)分からなかったとしても、「なった」ことに満足したいのであれば。それが、誰か人の上に立つような立場でないのであれば。

 そんなことを考えていて、4年前に読んだある記事を思い出しました。

 『英語ペラペラになって 何を喋るの?』(徳岡孝夫、フォーサイト2008年1月号、p.105)

 この記事では、この問いを次のように表現していました。
 「日本人の英語熱は会話においてだけ盛んである。駅前には必ずNOVAがあるのに、駅と駅をつないで走る電車の中で英語の新聞を読む人を見ない。日本の英字新聞は、ちっとも部数が伸びない。」

 少し話がそれましたが、最後にもう一本。

 来年そこにいて、何をしたいの?

 そんなことを考えて、もっとワクワクしたいです。