私の勉強法と二宮金次郎像

 kameichiさんのブログを見て知ったのですが、戦前から多くの小学校に建立された二宮金次郎像が減ってきているそうです。70年以上も前につくられたものは老朽化しているでしょうから、仕方のないことでしょう。

 二宮金次郎像が少なくなるのは、惜しいことだと私は思います。彼の像から私は、時間をうまく使うべしというメッセージを感じます。それは、「歩きながらでも、勉強をすることはできるよね。それができれば、歩き終わった後に取れる選択の幅が広がるよね」というメッセージです。

 実際に私は大学生のとき、よく走りながら(jogをしながら)勉強をしました。ただし、重い本を持って走るのは困難ですから、自分で簡単な資料を作ったものです。この作業は、自分が覚えたい知識の整理にも役立ちました。
 また、資料といえどそれをジッと読みながら走るわけにはいきませんから、チラっと見ることで物事を少しずつ、着実に覚える力も鍛えられました。さらに、この程度で覚えられることは私に向いていること、覚えられないことは(少なくともそのときの)私には向いていないことという選別をすることもできました。

 そういうわけで、「走りながら勉強する」のは私のオススメの勉強法の一つです。ただし、上に書いた方法を使えるのは「紙をときどき見ながら走っても周りに迷惑のかからない所(道)」に限られます。私がよく使ったのは、大学近くの運河や川の土手沿いの道でした。

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 さて、蛇足になりますがkameichiさんが紹介してくださった記事について、もう少し私の意見を書きたいと思います。
 まず「戦時教育の名残」と託けて「児童の教育方針にそぐわない」とする意見は、いかがなものかと思いますが。「歩いて本を読むのは危険」という意見も、それはごもっともなのですが、私はこれに悲しさも感じます。


 実際の「勉強」は何かを読むことに限りませんから、歩いたり走ったりしながらでも勉強することはできます。しかし、都心や街の狭い歩道などの場所では、そこを歩くこと自体に注意を払わないと周りに迷惑がかかってしまう所も少なくありません。そうするとそのような場所では、いつも考える性格である私はパフォーマンスが落ちてしまいます。
 そんな私は、望めば歩きながらでも本を読めるくらい、ハードの面で余裕を持った社会で過ごしたいと思うのです。

 「歩いて本を読むのは危険」で注意が必要であることは否定しません。しかし、もう少し安心して、とくに子どもやお年寄りが歩くことのできる道が整備されてほしいと私は思います。

 以上、好き勝手書きましたが、ここでの私からのメッセージは、1)時間をうまく使って楽しく生きましょう! 2)人が余裕を持てるようにハードの面も余裕を持って設計・整備しましょう! この2つです。