毒性学の目指すべきもの

 先週の金曜(19日)、大学関係の仕事の方たちが主催してくれた懇親会がありました。お世話になった職員の方の一人が定年を迎えたので、その送別会&忘年会。
 いろいろな人たちと話ができて楽しかった上に、私たち学生は、全部ごちそうしてもらってしまったのですが。会に来てくださった、うちの薬学部の先生が、私の持つ疑問について相談に乗ってくれました。

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 研究をしていると、たくさんの結果が出てくる。でも、本当に意味のある実験結果はどれか、それを得るにはどうすれば良いかは、注意深くなくてはならない。
 こういうときに、よく槍玉に上げられるものの一つが、「環境ホルモン」。貝が性転換をしてしまう作用を持つ化学物質と言われたが、貝の性別が変わることは、何にも不思議なことではない。貝は、簡単に性を変えることで、周りの環境にすぐに対応し、種を存続させてきた。
 同じことが、人や他の哺乳類でも起こるとしたら大問題。しかし、そのような証拠はどこにもない・・・
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 毒性学研究の重みに関わる問題だと思います。
 環境ホルモンが、環境中で実際にどれだけの影響を及ぼした(ている)かは、まだ議論の余地がありますし、分かっていない部分もあります。しかし、この物質は、その有害影響について「可能性」のアナウンスが先走りすぎた印象はあります。
 環境ホルモンの問題が、広く人々に、化学物質の健康影響について関心を持たせる契機にはなったかもしれません。それでも、必要以上に人々の不安を煽ったり、実際に寄与しないと判断できる健康被害や病気とまで、結び付けられすぎていること。これだけは確かです。

 ある学外の先生が、今年の6月ごろに理科大に授業をしに来てくれたときに、「マグロには食物連鎖でいろいろな化学物質溜まっているから食べない」と言っていました。言うのはその人の勝手ですが、教壇や公演などで、そういうことを安易に言うべきではないと思いました。
 もし、その人が “化学物質を生産・使用する立場の人” であったならば、そのくらいの心構えでいるべきです。しかし、毒性学に携わる人間の場合は逆で、安易に危険性ばかりを叫ぶと、毒性学の重み自体がなくなってしまいます。

 そのデータが、どれだけ確かなのか?
 もし少しでも不確かな点があるとすれば、必要以上の不安に人々を巻き込まない配慮が必要ではないか。

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 何かしらの健康影響が『ありそう』なものをすべて無くすことは、絶対に不可能です。なので、まずは今の環境(大気、水など…)を、もちろん改善することを考えながら、それはそれで受け入れること。
 その中で人々が病気に煩わされずに生活できる方法を提示していくことが、毒性学の目指すところであるべきだと思います。

 最後に、話は変わりますが、私が3年前とまったく違うことが一つあることに気付きました。以前は「病気の治すこと」にまったく興味がなかったのですが、今はそれも目指しているということです。
 研究する立場からすれば、予防と治療は同時に目指せるものだったと、今は思います。

ナノ粒子の生体影響評価・生殖発生毒性評価の問題点(2012年3月30日)

 

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