【欧州】リヨンで友人との再会と町歩きと

 リヨンではそこで研究をしている友人と話しつつ、街や生活のことを教えてもらってきました。米国での乗継ミスロンドンでの朝移動一本勝負も終えて、友人の3人のお子さんの豊かな表情にも触れながら、ハシゴ3ヶ国目の最後の滞在をのんびり過ごすことができました。



 リヨンでお会いした友人は、思い返すと私の研究の節目をくださった人たちの中で、年齢がとても近いのに唯一ほとんど会ったことのなかった方でした。お会いしたのはたぶん7年ぶりでしたが、それまでも会ったのは3回そこそこだったと思います。しかし、節目というのは当時自分が見たこと以外にも多くのことが起こっていたわけで、それを知っている人と話す機会は有意義でかつ有難いものだと実感しているところです。

 私自身、研究の次のステップのためには自分が何を考えておきたいのかを、いつも自分で認識して言葉にしたいと思っています。それは、研究を通していろいろな文化を持つ人と話す中で、自身を自身の言葉で語れることが大切だと感じるからです。
 業務の実績を挙げて見かけの地位を得ている人でも、その自身には語る言葉がない場合もあるように私は思います。人と研究をしている中で研究のことは見えていても、人のことが見えない人もいます。もちろん逆の方もいるのですが。一方で、優れた業績を挙げながら昼からビール片手に語りまくってくれる人もいて、人としても生み出している業績も面白いものを持っている人もいます(注:みんなも昼からビールを飲もうという意味ではありません)。

 自分が楽しいと思える形で研究を進められる環境を、どう探って手に入れていくのか。
 何かを変えたいとか、何かが変わってほしいとか思ったら、それを言葉にすることが必要になる場面は少なくありません。そしてこのとき、自分が何をどうやって言葉にしていくのか、どのような言葉にしていくのか。行動を選びたいと思ったら、まずは言葉を大切にすることだと思わされる場面にたびたび出会うことがあります。人の行動、とくに咄嗟の行動や応答というのは、その人の考えが顕著に表れるところです。そして、その咄嗟に表れるものが人柄と呼ばれるものなのでしょう。言葉が行動をつくり、行動が人柄をつくるという言葉がありますが、行動の中でもとくに咄嗟の部分にその人自身が考え続けていることが出るように思います。そして、道中お会いした人たちは、私と同年代の人もそれより小さい人たちもそれぞれの苦労をしながら、目の前と次を楽しくするために何かをしようという意思に満ちた生き生きとした目をしていました。

 そういったことを感じて考えながら、生活についても研究についても次のステップを踏みたいといま改めて考えています。研究者という「人」としてどう振る舞うか、振る舞いたいのか。そのために言葉を自分で選べるようでありたいと思います。



 何かを自慢できる町にいること、逆に自分のいる町を自慢できることも、どれだけその場に長くいるかということとは別に暮らす人の心を豊かにしてくれるようです。フランスの人たちは多くがそう思っているのを感じますし、その中でもリヨンは旧市街が大切にされていて、出会った人が「ここのきれいな町を見て楽しんでいって!」と言ってくれます。


 旧市街の町並みに、


 ソーヌ川(la Saône)沿いの風景と、


 豪奢なリヨンの市庁舎。

 もちろん町の景観も楽しいものでしたが、私にとってはやはりそれ以上に、道中で会った人たちとの会話が大切で楽しいものであったことを感謝しつつ、その事実を書き留めておきたいと思います。


 でも、小さい人に「教会の中では静かにね」と言っておきながら、話が止まらずにこっちが注意されるとかあったら悲劇かも。もしあったらね・・・。

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 リヨンは2日間弱の滞在のあと夕方前に出て、パリCDG経由で帰国しました。



 5歳児が「ドキドキしちゃうー」と言っていた新幹線TGVを降りて、





 パリ-成田のJAL便は2-4-2の並びでいただけた「2」の席でゆっくりし、親子揃ってこの1週間で一番良く寝て(5歳児は9時間半、私も6時間)各所で迎えてくれた人たちに感謝しつつ、無事に北半球を一周してきたところです。

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5歳の人と米メリーランド~3ヶ国ハシゴ旅へ
1年ぶり(5歳の人は初)の米国はメリーランドへ
子連れでワシントンD.C博物館~ボルティモア水族館巡り
子連れで米国からロンドンへ
子連れで早朝にロンドンを発ってリヨンへ
●リヨンで友人との再会と町歩きと