奇跡の上に生きている

 この5日間は、学会2つと結婚式をハシゴ。徳島でも姫路でも東京でも、いろいろな人に会いました。たくさん話しました。
 姫路での打ち合わせで話が脱線したときに、相手方の先生と理科大の1人の後輩との縁を知りました。思わずその場で、その後輩に電話をしてしまいました。

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 私とは違う学科でしたが、彼が大学に入ってきたとき、はじめ全然学科についていけないことをとても悔しがっていました。でも、彼は高校のときに、もっと悔しい思いをしていたのです。彼はある競技で、自分の力で勝負しようとしていました。しかし、そこでは(少なくとも彼の目指す勝負には)勝てず、今後も勝てないとはっきりと指導者に言われていたのです。彼自身、その理由も理解していました。

 そこで彼は、大学に入ったときに、別の形で自分の力での勝負をしたいと思ったのです。そのために必要なものを身につけること、そのために身につけるべきは何かということに、芯からこだわる奴でした。いつも、何かできたことがあるとすごく嬉しそうに、自慢げに話してくれる奴でした。自慢げに、でも、そこにいつも他の人たちそれぞれの「勝負」に対する尊敬の念がありました。

 逆に、うまくいかないことがあるたびに、誰よりも悔しがっていました。無理をしてでも乗り越えようとして、調子を崩すことも少なくありませんでした。でも、それを含めて自分自身なのだと。いつもそのすべてを認め、受け入れているように見えました。彼自身が、自身の限界を誰よりもよく知っていたのです。

 失敗をする、勝てない、届かない。理想とのギャップが埋まらない。それもすべて、自分の力不足で。強気な言葉は、悔しさの裏返し。それが自分を追い込むこともあるけれど、自分が欲しいものを手にするために必要なもの、それを手に入れることにこだわるしかない。

 チャレンジする分、恥もかく。「そんな恥は気にする必要ない」と人から言われても、誰よりも強く自分がそれを感じてしまう。それでも得たいものを手にするためには、失敗しても恥をかいても止まるわけにはいかない。目の前の問題をクリアせずして、その先のものを手にする方法はない。こだわりたいものがあったら、逃げてるヒマなんて全然ないのだ。

 ・・・、ほんと涙出てきそう。

 こだわる奴だから、苦労しただろう。自分がやりたいと思うことこそに、尽力することにこだわっただろう。目の前の障害が大きすぎて、その先が見えないこともあっただろう。

 でも、目の前の課題に、自身で見つけた課題に逃げずに向き合う姿は、必ず周りにも伝わるんでしょう。良い出会いがあったのでしょう。そんな仕事もあったのか、そんなチャンスがあるものかと、驚いたこともあったでしょう。

 最後には運もモノを言ったでしょう。しかし、間違いなく彼自身に、運を呼び込む魅力があったはず。人を大切にする奴です。5年前に私がテレビの取材を受けて、それが放映されたとき、たまたま観たようでテレビつけたまま電話してきましたよ。

 「先輩、なにやってるんっすか!?(笑)」って。

 でも、話したのはそれ以来、5年ぶりだったかも。頑張っていることは知っていました。どこにいるらしいということも、風の便りで何度か耳にしていました。きっと頑張っているだろうと。きっと、一緒にぶっちゃけ合っていたあの時と同じように、今も頑張っているのだろうと思っていました。

 そして、その予想は当たっていたのです。

 自分自身のやりたいことと限界とに向き合った先に、それと一生懸命向き合った先に、自分の力で勝負できる世界がある。そうやって後輩の勝負している姿が、涙が出るほど嬉しいです。

 そんな後輩が、うめさんが目標なんですと言う。最低の社交辞令です。泣かせるな。それを真に受ける度量すら、私にはありません。
 でも、それがたとえ社交辞令でも嬉しいと思います。私は「あんなの自分には無理だ」と思われるのでなく、「ああいう風にもやれるんだ」と思わせるためにこそ、後輩や学生のいる中にいたいと思います。

 自分の力で勝負をすること。私がそれをこの上なく尊いと思うのは、その勝負が自分自身で選択し、決断するという行為に他ならないからです。そして、何かをするという選択では、他の何かをしないという選択をいつも同時に迫られるのです。

 やりたいことがたくさんある中で、いずれかを自分で選ばなくてはいけない。時間も体力も限りある資源。その現実を前に、何かを自分でしないということを、あわせて選ぶことの悔しさ。要らん失敗もしてしまう。間違いに気がついたときに、それが自分の選択で、自分の力不足でこそ起こったと理解したときの虚しさと無力感。

 そんなものを乗り越えて、今の彼があるんだろうなと。電話越しの彼の声は、今もとても活き活きとしていました。もちろん、これからが大切と思っているはず。私は今、ここまですべてを「した」と過去形で書きましたが、実際には今なお同じように、彼はチャレンジをし続けているはずです。

 そしてきっと、奇跡の上に今があることを感謝しながら、次もまた奇跡に出逢って驚きながら。そうしながら、これからも自身の理想を少しずつ体現していくのだろうと思います。

 そんな人間が、自分の周りに1人でもいるという事実に感謝します。


 これは、2005年の夏に彼の実家に呼んでもらったときの写真。懐かしいです。

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<関連の過去エントリ>
時間も体力も有限の資源
人それぞれのライン
すべてはつながっている
自身の力で勝負する人を尊敬します

<追記>
●亜由子さんのブログで紹介して頂きました。⇒自身の力で勝負している人を尊敬する(2014年9月21日)