質問力・議論力と近代史

 日本の人、もっと質問する力をつけてくれたらいいのにな、と思うことが多々あります。議論の仕方(ただし、議論のための、ではなく)を身につけてくれたらいいのにな、と思うことが多々あります。
 マレーシアの学生とか、本当によくこちらに訊いてきたもんです。中国の若手研究者も。

 少し言葉は悪いですが、おっさんがいい加減な言葉のやり取りをしていても、残念だなくらいにしか思いません。
 でも、若い学生が、後輩が、その点で四苦八苦しているのを見ると、立場的にも心からの気持ちとしても、何とかしたいと思います。質問力・議論力をつけてもらいたい、と思います。その方法をシンプルに伝えられない自分を、もどかしく思うときも少なくありません。

 日本の多くの議論の場だと、まず何か発言するだけでも目立ってしまうことが少なくありません。仕事だったら、発言してその場のアウトプットに何かしらの働きかけができなければ、そもそもいる意味無いのにね。

 ただそれで、そんなときに思うのは、ほとんどの日本の教育の場で、議論の仕方ってそもそも鍛えられても教えられてもなくない? ということです。

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 議論の場って、発言しなければいる意味はないですけど、発言すればいいってものじゃないってことは誰でも分かりますよね。

 議論の目的は何で、それに関して白黒はっきりさせようとしていることは何か、もしくは方向性としてはっきりさせようとしているのは何か。まずそれを理解しなくちゃいけません。
 そして、「それを判断する材料となる」言葉として、どういった位置づけにあるものを自分が発言しているのか。それが聞き手、もしくは議論に参加しているすべての人に分かるように、自分のアイディアを言葉に乗せなくてはいけません。

 言うまでもなく、自分のアイディアは言葉にしさえすれば、相手は理解してくれるはず、というだけのスタンスでは理解はしてもらえないのです。

 (いや、もちろん私にも心当たりはいくらでもあって申し訳ないのですが…。アホ話の中でアホなこと言いすぎて、イラっとさせてしまうとか。ホント申し訳ないです。でもね、)

 自分のアイディアをどの単語に、どういった口調や姿勢とともに乗せたら一番効果的か。どう振る舞うことが、「議論の目的を果たす」、もしくは「議論の的を変える必要があるのであれば変化を促す」ために効果的なのか。それを、瞬時にもしくは事前に、かつ深く理解して行動に現せるのなら、現せた方が絶対にオトクですよね。

 いや、そんなの現実離れした理想の話かもしれませんけど。でも、現実から離れていようとも、少しでもこの理想に近づくことに、価値があると思いません?

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 先日、ドイツ出身の方と「質問する力」「議論する力」をどう教育課程の中で育んでいけるか、について意見交換する機会がありました。

 残念ながら、私が今できることを(実践から答えの例を示すこと以外)はっきり見出すことができたわけではないのですが、はっきりしたことが一つ。それは…

 もっと日本(だけでなくアジア諸国なんだけど)、近代史を検証したりきちんと記録したりした方がよくない? 過去に題材となる失敗があるんだから、それがどんな経緯で起こってしまったのかを詳しく分析・記録して、国内や国家間のどんな議論がうまくいかなかったからそれが起こったのか、しっかり検証しておいた方がよくない?

 ということです。

 そもそも、タブーになっていることが多くて諸説相互の検証とか、されてなさすぎでない?
 ⇒繰り返さずに、過去にしたいです

 彼の国ドイツでも、第二次世界大戦に向かった時代のことは今でもタブーになっている部分が少なくありません。が、それでも当時の失敗を繰り返さないように、周辺国と共同で、当時の当事国(内および相互)でどのように議論や意思決定がなされていったのか、検証が進められているそうです。

 そう、こういう失敗から議論や意思決定の仕方を学べることは、たくさんあるんです。

 日本での高校までの歴史教育は、古代~江戸時代に割く時間を半分にしてでも、近代史に絶対時間を割くべきですよ。それを抜きにして、一国を美しくするとか、一国民のための何とかとか、そんな言葉だけではいかんのですよ。

 ナショナリズムを高めていってる場合じゃないんです。インターナショナルな時代なんですから。

 あぁぁ。

 明日は、さすがに誰でも知ってる “ヒロシマ” の日。そしてその後、第二次大戦の終戦に縁のある日が続きます。無関心でいたくない、と思います。広島にも沖縄にも、インパクトのあるメッセージがそこにあったっけな。また訪れたいと思います。

 で、話はズレましたが「質問力」「議論力」。それを、実践からでもいいので、少しでも体系に近いものを示せるようになりたいと。そう思い、悩み続けたこの3, 4ヶ月でした。
(→決して前向きではないけれど。)

 ちょっと早いですが、良い夏休みを。