しばしば耳にする、この言葉。
「○○の教育が続かない。」
「○○の取り組みがうまくいかない。」
そんな教育や取り組みはむやみに続けずに、「続く**って何なのか」をもう少し考えた方がいいのではないか、と私は思うことが少なからずあります。
ある活動や取り組みが続けられるのは、それを必要とする人やそこからメリットを感じる人が、その場に一定数以上いる場合に限られるのではないでしょうか。
私はそう考えるので、「資金や人手が足りなくてできない」という話を聞くと、足りないのでは資金や人だけでなく、そもそもの必要性なのでは、と思ってしまいます。
その取り組みの内容は、たしかに大切なものかもしれません。しかし、それを誰かに生かしてほしいと思った場合には、それが「受け手に届く形」になっているかということも、大切なポイントであることは間違いないでしょう。
「受け手に届く形」かどうかの一つが、私のよく使う言葉でいう「ニーズを拾えているか」であるとも思います。
正しさや網羅性を突き詰める研究者の仕事を、私はもちろん否定しません。しかし、その内容や成果を誰かに届けるためには、正しさや網羅性といった要素の他にも重要なものがあることを、私たちはもっと理解しなくてはいけないのかもしれません。
+++
「社会は、本当に○○○を求めているのか?」
「人々が○○○を持つことによるメリットを、どう生み出すのか?」
いま参加している学会で聞いたこれらの言葉に、私は強く同意します。
昨日(2012年11月9日)から、滋賀大学(彦根)で行われている日本リスク研究学会第25回年次大会に参加しています。私も明日の午後に発表します。
●学会最終日のメモ-新しいリスクに対応するために、ハザード研究者の果たせる責任とは(2012年11月11日)