岩波『科学』特集「リスクの語られ方」

 『科学』(岩波書店)2012年1月号(82巻1号)の特集「リスクの語られ方」が、とても勉強になります。科学者として「当たり前」とされる態度を取ることが容易ではないことを再認識させられ、当たり前のことができているのかの自省を促される特集でもあります。

 この特集論文の前半5つを、気に留めた一部の文とともに紹介したいと思います。詳細は本誌を是非ご覧ください。

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「リスク・コミュニケーションのあり方」(吉川肇子、慶応義塾大学-組織心理学・社会心理学
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(リスク・コミュニケーションの問題の根幹は、)リスク情報を多くもっている専門家のリスク・コミュニケーションに対する態度や誤解である。
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(リスク・コミュニケーションとは、)非専門家を含めた社会全体として、意思決定していこうという民主的な考え方が反映されたもの。専門家だけではなく、市民も意思決定に参加することがリスク・コミュニケーションでは求められている。
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(リスク・コミュニケーションの領域は、)「個人的選択(personal choice)」と「社会的論争(public debete)」の2つに分けられる。後者の領域では、社会的にどのような意思決定が「正しい」といえるのか、明確には決められない問題が多い。最新の科学的知見をもって、最良と考えられる解があったとしても、その解が将来も正しい保証はない。

「『専門家』と『科学者』:科学的知見の限界を前に」(影浦峡東京大学-教育学)
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(議論のために、ここで我々は暫定的に、)自らの科学的・専門的知見を逸脱する出来事を前に、あくまで自らの科学的・専門的知見の真実性を保持しようとする人を専門家と呼び、(一方で)既往の知見の不足あるいは無能を認識し、改めてそうした出来事を科学的知見に取り込むべく出来事に向き合う人を科学者と呼ぶ。

「確率的リスク評価をどう考えるか」(竹内啓、東京大学
 ・一回限りの事象については、損失や利益は大きいか小さいかであって、
(それらに確率を乗じた)期待値に等しくなるわけではない。
 ・災害対策は慎重であるべきだと考えてもよいが、そのような心理から災害のおこる確率を過大評価してはならない。思いつきやすい、あるいは直近に起こった事象に注意をとられすぎてその確率を過大評価すると、逆にこれまでおこらなかったこと、あるいは目につきがたい危険を見逃すおそれがある。

「いま、水俣学が示唆すること」(原田正純
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(私たちが水俣病との取り組みから学ばなければならないことは、)現場に学ぶこと、被害者(当事者)に学ぶこと、弱者の立場にたつこと、境界(専門領域)を取り払ったバリアフリーの学問的立場をとることである。

原発事故後の科学技術をめぐる『話法』について」(石村源生、北海道大学-CoSTEP)
 ・科学の動作保証範囲
 ・新しい話法-「AはBである」という話法ではなく、「AについてはCという疑問が起こっているが、実際はどうなのだろうか?」「AはBであるというが、実際にはDという可能性はないのだろうか?」という「問いかけ」のような形のような話法を、コミュニケーターをもっと使いこなしていかなければならないのではないだろうか。

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 「環境リスク」「リスク・コミュニケーション」は、昨年から議論される機会がとても多いです。しかし、私にとってこれらは“ブーム”でなく、私自身の専門に深く関与している重要な分野です。この機会に、よく学んでおきたいと思います。

 ※ 他のブログの関連エントリ
リスクの語られ方 科学2012年1月号(TeaTownのブログ、2012年1月7日)
岩波「科学」 リスクの語られ方(chiyの理科準備室、2012年2月12日)
慶応義塾大学 吉川肇子教授(チームクロスロード)(リスク・コミュニケーションを対話と共考の場づくりに活かす、2012年2月1日)