「安全性」や「正しさ」を誰が判断すべきか

 2011年3月の震災から3ヶ月が経とうとしていますが、原発事故は未だ終わってはいません。そして、「そこから放出されている放射線の健康影響」について何を信じるべきか分からない、「専門外」のU-runnerです。

 ただ分かるのは、大切なのは「ある知見や見解が正しいかどうか」ではなく、故障した原発由来の放射能に対して微量以上に曝されている人や他の生物・ものを「救うこと」であるということです。(私自身には、この件で誰かを「救う」ことに貢献する力がないのですが・・・。)

 そう考える私が、いろいろな意見や議論を聞いていて思うことは、次の2点です。


●ある判断が正しいか正しくないかを他に問い詰めている方は、いったい何をもってすれば何かを「正しい」ものと判定できると考えているのだろうかということ

●何かが安全がどうかの答えを問い質している方は、何をもってすれば何かを「安全」であると判定できると考えているのだろうかということ

 そして、「正しいのか」「安全なのか」という問いに対する答えは、前提となる基準の違いによって変わるはずのものであるという私の考えを、合わせて記録しておきます。
 いま求められていることは「すべての人を“救う”こと」であるはずだと、私は考えています。その今、誰が状況の「安全性」や情報の「正しさ」を判断・発言することを求められていて、誰はそれに言及すべきでないのか、私は理解できずにいます。

 放射線の健康影響について、何らかの答えを期待して読んでくださった方には申し訳ないのですが、現状に対して私が言えることはたったこれだけです。そして、「安全性」や「正しさ」は誰が判断して、誰にどう伝えられるべきなのか・・・。それをどなたかに教えていただきたいというのが、この件についての私の思いです。

 最後にはなりましたが、私よりも現場に近く、大変な苦労や不安の中にある方たちが、一刻も早くこの苦労や不安から解放されることを心から祈っています。