偉業への挑戦者に敬意を表して

記録を残し、歴史に名を残した者は、
後にその人柄も語られることになります。
それが、成功者が他の事柄に置いても
人の範たるに相応しくあるべき所以でしょう。

最近の横綱白鵬の活躍により、
大相撲の連勝最長記録を持つ双葉山の逸話も
たびたび世間に取り上げられました。


双葉山が、不滅の69連勝を記録した後に
敗れたときに遺した有名な言葉は、
「いまだ木鶏たりえず」

「木鶏」は荘子の故事に由来する言葉で、
闘鶏の最も強いものが、まるで木彫りであるかのように
動じず、泰然自若とする様を表したものです。
双葉山はこれを引き、何があっても泰然と構えるのが
力士、そして横綱の理想像であることを悟ったとされます。

その双葉山の弟子の一人は、親方である双葉山
「包容力。それ以外の言葉なんか必要ない」
と評するそうです。そうも評される者は、
記録や偉業を持つ者の鏡ではないでしょうか。


今、「不滅の大記録」に挑戦する
二人のスポーツ選手とといえば、
イチロー白鵬であったかと思います。

白鵬はこの11月場所(九州場所)で敗戦し、
連勝記録はいったん途絶えましたが、
「昭和の角聖」双葉山を社会に思い出させたのは
価値のある仕事でした。
何より、歴史に名を残した大横綱
比較され、注目されていること自体が
大きな仕事でもあるでしょう。

現役による活躍と挑戦が、
過去の偉業とそれを成し遂げたものの大きさを
より一層際立たせることがあります。
そして、その現役による挑戦も、
後に語り継がれていくことになるのでしょう。

そんな現実のストーリーが、私はとても好きです。