2009年のGWおしまい

5月6日、4連休最後の日の夜は、
大学時代の同期との食事会に行ってきました。

前回は、去年の12月28日でした。
大学を卒業してから3年ちょっと、
その後、大学院で修士を取ったり、
ずっと仕事をしていたり、転職もしたりと
様々な道を進む仲間たちですが、
1年に3,4回集まっているでしょうか。

集まるのは、少ないときでも8人くらい。
前回は12人。今回は11人。
すごい仲間がいたもんだなと思います。

私がこの仲間たちを好きな理由は、
彼らの言葉のすべてにおいて、
「良心」と「正義感」が抜けることが
ないからだと思います。
(と言ってしまうと、偉そうなのですが…)
本当は、良い友達を持つことに
理由などは要らないのですが、
大勢で会える仲間を多く持たなかった私が
理由を考えてしまった結論が、それでした。

+++

人間は“十人十色”。
これを事実として認めたとき、
すべての人が「100%正しい」といえる
考えなど絶対にない以上、
人との関係の中で生きる人を
支えてくれるのは、「良心」と「正義感」、
この2つだけであると信じています。

このいずれかが欠けていると感じたとき、
人は多くの場合、
その相手に対して不快な思いを抱きます。
それが反復されると、
怒りを覚えることもあります。

私も今までに、いろいろな場所で、
それを感じたことがありました。
不快感がストレスにしかならず、
不快の元を消し去す方法を考えることに
無駄な時間を費やしてしまったことも、
これまでにあります。
怒りを表に出さずにはいられず、
節操のない行動を取ってしまったことも
もちろんあります。


怒りを言葉や態度にすることで、
怒りの相手が変わるならそれもいいです。
しかし、多くの場合にそれは叶いません。
その理由は、おそらく間違いなく、
人間が “十人十色” だからです。


自分の方が間違いなく正しいと思うことも
あるかもしれません。
しかし、その考えを一番伝えたい相手に、
思いが伝わらないこともあります。
それを、99.9%の人が支持してくれても、
事態が変わらないこともあります。
そのとき、その事態を変えることが
自分が「勝負すべき場」なのかは、
よく考える必要があります。

「勝負するところで勝負する。」

これは、言葉にすると
当たり前に見えるかもしれませんが、
たぶん、とても大変なことです。


望ましくなく、変えたいと思う事態が、
自分では変えられないと思ったとき、
そこでの勝負を避けることは、
「良心」に反することもあるかもしれません。
でも、多くの場合、
それは許されるのだと思います。
人には誰しも「勝負すべき所」があり、
そこに関係することに力を尽くすことが、
再優先されるべきだからです。

良心と正義感にさえ従っていれば、
本当に理解してほしい人たちには、
それは必ず理解してもらえるでしょう。
そしてそれが、人との関係の中で生きる
すべての人を、支えてくれると思うのです。


だから、人間関係に悩んだときは、
自分の正義感を育てることだけに
集中すれば良い。
もちろん、その正義感が人に
理解されるものであるかを監視しつつ・・・

食事会とは関係ないのですが、
連休の最後に、そんなことを考えていました。
(正確にいうと、私も悩むことがあり、
ちょっと前からその答えを探していました。笑)

これまた関係ないのですが、5月6日は、
私が中学の陸上部に入部した日です。
それから走ること、14年。それと比べると、
ちょっと長めの私の大学院生活なんて、
全然短いもんですね。

 

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