悪いことではない「分割政府」の出現

 ちょっと前の話になりますが、昨年の参議院議員選挙自民党が大敗し、民主党参議院の第一党になりましたね。で、そのついでか何か知りませんが、「内閣を解散すべし」という声も上がったりしましたが、私はそれに大きな疑問を抱いていました。
 そうしたところに、これまた古い記事なのですが、「フォーサイト 2007年9月号」(新潮社)に興味深い記事があったので、紹介します。“世界政治のキーノート”というコラムで田中明彦氏(東大)が書かれたもので、タイトルは、表題にもしました「悪いことではない『分割政府』の出現」です。

 「分割政府」とは、行政府の長(内閣総理大臣)と立法府(国会)の支配勢力が同じ政党でない状況を指す言葉です。その上で、この記事で述べられていたことは、主に次の二つでした。

1) 参院選での大敗後、安倍首相が続投の考えを早々に表明したのは悪いことではなかった。
2) 参議院の第一党が野党であることは全く問題がなく、むしろ良い場合もある。

 

 1) については、人それぞれの事情も入り込んでそれぞれが様々な感想を持ったと思いますが、私は、参院選の結果により首相交代ということはなくて良かったと考えています。首相は、衆議院で選ばれるもの。その上で、参院選の結果を受けても首相が交代する事態になると、場合にっては2年未満に1回の割合で政権選択をすることになってしまうからです。
 実際に1990年代の日本では、約1年半ごとに首相が交代したことがありました。一貫した内政の実現は困難になり、対外的にも、日本国の代表の名前が覚えられないということになっていたはずです。
 このような理由から、衆議院での内閣不信任案の成立以外での形で首相が交代することは、本来望ましくない、と、紹介した記事でも書かれていました。

 2) については、参議院の最大勢力が野党ということは、制度上全く問題なく起こり得ることであるということ。さらに、参議院の重要な役割の一つは首相の権力をコントロールすることであり、そのためには参議院の第一党が野党であることはむしろ望ましくもあるということです。もちろん、これが絶対の必要条件というわけではなく、現状の中で様々な議論が行われればいいし、行われるべきである、ということなのですが。
 衆参の選挙制度はこの10年余りで変わり、両院間でその選ばれ方があまり変わらなくなっています。本当は、小選挙区制をベースにした衆議院から大統領的に選ばれる首相を監視するために、参議院は性質の異なる選挙制度で選ばれるべきだと思うんですけどね。大選挙区制ではお金が掛かるので(←おかしな話ですが、現実的には仕方ないのでしょう)、難しいのかもしれませんが・・・。

 また、紹介した記事では最後にこう締めています。

 いまやアメリカも分割政府、韓国も分割政府、台湾も分割政府である。日本も、いよいよ、その意味で「普通の国」になりつつある。


 話は変わりますが、日本のある左翼的テレビ局のニュース番組は、数年前に司会が変わってから、言葉の重みがなくなってしまったような気がします。政治家しかり、ニュースの司会しかりで、困ってしまうのですが。しかもこのようなことは、本来専門外の私がエラソウに言うべきことでもないのですが・・・
 マスコミが政府を批判するのは、政府を監視する上で必要不可欠ですし的確に批判するべきなのですが、不的確な批判には、非常に違和感と嫌悪感を覚えざるを得ません。その政府を選んだ者の一人が自身であることを承知しているのか。結果的に、同じく選んだ者自身、マスコミの情報の受け手である大衆を馬鹿にしてはいないか。

 私自身も未熟極まりなく恐縮なのですが、重みのある言葉を発せられるかということ、それは、発する言葉に責任を持てるかにかかっていると思います。言葉を発する責任。受け手に対する責任。私自身、インターネット上に5年以上の間言葉を載せ続けて、そういうことを感じるようになってきました。ましてや、公衆の電波に言葉を乗せるマスコミ関係者、国を動かす政治家には、重みのある言葉を発せられる人たちであってほしいと思います。

 話を戻しますが、参議院で優勢を占めた野党は首相の言葉を監視し、そこに責任を持たせるために存在するのです。参院選での与党の大敗と首相交代の必要性を頑なに結び付けた某ニュース番組に、私は最近、やっと反論できるだけの論理を、完全とは言えないまでも手に入れることができました。正直、ちょっとスッキリしました。

 

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