津山、赤穂と回る中で、行ってきました世界遺産の姫路城。まずはちょっとマニアな(?)北側からの眺めから。
姫路に今も残る、“最高の木造建築” 大小4つの天守に多くの櫓や門、防御のための土塀に石垣や堀など。そんな日本独自の城郭の構造を最もよく表しているという理由で、世界遺産に選ばれています。でもそれ以上に、新幹線の駅を出てすぐの大通りの正面に歴史のある天守が見える、というのもインパクトが大きい城ですよね。
姫路城はこの、正面の大手門や備前丸(本丸)から見た姿が有名でしょうか。一方の南西側、白鷺橋から市之橋門跡〜好古園に向かう道の方では、城郭を広く囲う高く壮大な石垣が、天守のだいぶ遠くから続いているのがよく分かりました。
好古園の潮音斎から。
姫路駅側の大手門や三の丸広場を通り、この「菱の門」をくぐるといよいよ二の丸。この城も、太平洋戦争末期には空襲の的となるのを避ける目的で、偽装の黒網が掛けられたりもしたそうです。それでも、陸軍の師団も置かれた姫路の街は空襲に遭ったわけですが、城に落ちたものが不発弾だったために城は崩壊を免れたという歴史も。まったくホントに何てこと・・・。
現地での展示は、黒田官兵衛と池田恒興に本多氏時代の千姫の説明が多かったように思います。しかしそれだけでなく、1582年本能寺の変後の中国大返しのときに、備中高松から山崎に急行する羽柴秀吉が隊を整えたのも、この姫路。官兵衛~秀吉時代の姫路城は池田氏時代のものより小さかったわけですが、その辺りの話は面白いので展示や資料をもっと見てみたいものです。
天守から西の丸方面を見下ろして。下(左手)に見える西の丸は、豊臣秀頼の没後に姫路に入った千姫のために造られました。千姫は徳川秀忠の娘ということで、“化粧料” でこれが築かれたのだとか。将軍家の娘が嫁いだために、江戸時代に入ってからも拡充されてより大きな城郭になったというわけなんですね。
他にも、和歌山城と同様に珍しい城郭内の動物園や(ただし姫路の方は戦後のもの)、姫路駅から南西側にある水族館なども楽しんできました。
姫路駅からこの水族館(手柄山)へは、1966年の姫路大博覧会から8年間だけモノレールがあったんですね。最近廃線跡めぐりに興味のある小学生のリクエストで、姫路駅からそこまで2kmほどの道も歩いて行きました。
山陽電鉄の高架線を跨ぎ、マンションの上を越え、国鉄線(当時)も跨いで手柄山に向かっていたモノレールの橋脚跡。今もまさに撤去工事が行われていたので、これを見られるのも今が最後かもしれません。
大手門の東側にある城見台公園に復元されている、姫路の鯱。メインの観光散策ルートから外れているためかとても空いていますが良い眺めです。2022年末は、姫路に連泊した後に次の目的地に向かいました。
”城通” の人と一緒に新幹線に乗っていると、滋賀の八幡山(ロープウェイの駅も見える)や安土の観音寺(新幹線からも幟が見える)、彦根城に、遠く岐阜城や間近の清洲城も車窓に見つけて飽きない東海道でした。飛行機から名古屋城も見つける人の目にかかれば、いろいろ見つかるもんです。次の目的地も鯱。鯱から鯱へ。
PS. 姫路城で買ったこの本『名城をゆく #1』もオススメです。