『茨城の城郭』坂東(猿島)~常総

 更新が開いてしまいましたが、家では色々な会話や動きを覚える2歳半の人に趣味を貫く小学3年生と、その時々の時間を大切に過ごしています。小学生の方は学校があまり開かなかった時期に、趣味に没頭することに磨きがかかったように思います。

 そんなうちの小学生が、2020年春の学校の休業中にゲットした本の一つがこれ。


 『【改訂版】図説 茨城の城郭』(編:茨城城郭研究会、図書刊行会、2017)

 9月最後の日曜日にも行ってきました。茨城・坂東(猿島)の逆井城址公園。1500年代後半、室町後期の戦国時代の関東の覇者というと北条氏が有名ですが、関東平野ど真ん中のこの地域も、北条、佐竹、結城に多賀谷氏らが勢力争いをした場所だったそうです。さらに越後の上杉氏が上野(群馬)まで東進してきたときに、これに対峙したときにもこの逆井城(飯沼城)は重要な役割を担ったのだそうです。

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 物見櫓は、天守が全国各所に築かれるより少しだけ前の時代のもので、物見櫓に鯱もないやや地味な二重のもの。その当時の姿とされるものが、飾らずに復元されています。

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 公園には当時の見張りの櫓が復元されている他、関宿(野田)や牛堀(潮来)など、近辺で現代に居場所をなくした建造物も移築し保存されていました。

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 堀に架かる橋が、遺構を保存すべく数十センチずらして復元されていることなども、好感を持てる公園でした。

 なお、この逆井城は『茨城の城郭』にある城跡の中で「76番」の番号が振られていました。
この近くには他にも、常総(水海道)に「77番」大生郷城があります。

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 大生郷城の主郭だったとされる場所は今は民家ですが、田圃のある低地を挟んだ出城的な所に今は「学問の神」の祀られる天満宮が。

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 こちらに行ってきたのは5月の後半。黄金色に実った春の麦が広がっていました。

 加えてその南には、常総の菅生。行ってみると案内板がありましたが、知らなければただの森にしか見えないので行くことはなかった場所です。

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 というより、読ん(だ人に教えられ)て行ってもただの森にしか見えません。

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 ただ、話を見聞きしていると分かるのは、少なくとも500年ほど前(1500年台)にこの地域の低地は霞ケ浦から繋がる湖や沼になっていて、これに面した丘にいくつか水運も生かした集落や防衛(軍事)の拠点があったらしいということ。利根川・鬼怒川と小貝川に挟まれた我らが守谷や取手も然りです。

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 小さい人たちの好奇心趣くままの行動を見ていると、意義から入るのでなくとにかく何かやってみること、好きなままに動いてみることから見つかったり経験したりすることの価値の大きさに気づかされるばかりです。

 しかし、このときの守谷城(守谷)、高井城(取手)、筒戸城(谷和原@つくばみらい)はそれぞれ『茨城の城郭』の85、84、83番。あとどれだけ行くことになるのか(行けるのか)は、正直まったく不明としか言いようがありませんが、さて。