【岐阜・東濃】木曽川沿いに鉱物と歴史の道めぐり

 2020年9月の連休は岐阜に行っていました。その直前に超縮小版の運動会を「がんばったら岐阜に行きたい」という8歳の人のリクエストで、急遽3日前に宿を恵那と岐阜にとって、前半の行き先は中津川~恵那~可児~犬山。
 春から感染症発生の問題が続いている2020年。あまりに静かな5月連休に、「第二波」を招いたと言われる7月の連休を経て、まだ制約はあるものの色々な人たちが新しい「人の迎え方」を模索してくれているのが有難い限りです。

 恵那山トンネル(中央道)から中津川に入り、初めの行き先は中津川の鉱物博物館。8歳の人(たまに変わった石を見つけては集めてる)が『岩石・鉱物』の図鑑で見て、元々「5月の連休に行きたい所」としてマークしていたようです。到着した日、朝からの雨がまだ少し残っていたので屋内の博物館に初めに入ったのですが、なかなかに素晴らしい展示でした。

f:id:umerunner:20201004063329j:plain

 中津川は、濃尾平野から東に伸びる中山道(今は国道19号)の途中、木曽山脈を眼前に控えた所の位置する町です。中央アルプスと呼ばれる険しい山に囲まれたイメージがあったのですが、

f:id:umerunner:20201004063411j:plain
 何と1000万年以上前は海だった時代もあったらしい。

f:id:umerunner:20201004063440j:plain
 それで、火山に由来し自然放射線も多い花崗岩と、堆積岩である泥質の岩石の両方がこの地域で見られるらしい。

 これだけで「へー! すごい!」と声を上げてしまうところですが。透明だけど光をただ真っすぐには進ませない鉱物もあり、絵が二重になったり浮き上がったりするのを楽しんだり。

f:id:umerunner:20201004063522j:plain
 右のテレビ石は、向こう側が石の表面に浮き上がって見えるのが有名な石です。ただ単に透明なだけでなく、ある方向に光を通しやすい構造が何層にも重なっているのがその
面白い性質の源。左を複屈折を見せる方解石。

 玄関前には、中津川・苗木産の水晶発掘体験をさせてくれる広場もあります。

f:id:umerunner:20201004063606j:plain
 2歳の人も石さがし。普段から8歳の人が石を見たり積んだりしているのを見ているので、真似はお手のもの。

 この体験コーナーは小さな石英など、艶があったり結晶構造を見られたりする水晶を見つけて喜ぶ場所のようです。が、他にも気になった鉱物を集めた8歳の人の質問に、博物館の人は丁寧に答えたり説明したりしてくれました。感激してミュージアムショップでの買い物でも気持ちが弾みました。

+++

 この鉱物博物館のある中津川の「苗木」には、木曽川の崖の上に室町末期(戦国時代)に築かれた苗木城跡もあります。

f:id:umerunner:20201004063721j:plain

 積まれた石垣だけでなく、山の上なのに巨大な自然石(元からそこにあったもの? 本当に?)が至る所にあるすごい城跡。

f:id:umerunner:20201004063757j:plain

 もう一つすごいのは、城の骨組みの礎の一部が土の地盤に挿されておらず、崖にある巨岩の上に組んであること。懸造りと呼ばれ、京都の清水寺の「舞台」もそうなのだそうですが、これも安定してその場に長年見られる造りになるというのですから驚きです。

f:id:umerunner:20201004063904j:plain

f:id:umerunner:20201004063955j:plain
 その城から見える木曽川木曽川というと、隣町に観光スポット「恵那峡」がありますが、うちの8歳の人にとっては苗木からの眺めの一択だったと思います。

 苗木からは、阿木を抜けて恵那の南に位置する岩村にも寄りました。苗木や岩村を含むこの辺りは、山間にありながら、室町末期(戦国時代)に甲斐からの武田氏と尾張からの織田氏の激しい勢力争いに遭った地域です。

f:id:umerunner:20201005055741j:plain
 岩村は苗木よりも高い標高に位置し、江戸時代の府城(藩庁)の中で最も高かった(海抜717m)とのこと。本丸跡のすぐ近くにも駐車場がありますが、江戸時代の町並みも残る城下町側から1km足らずの道を登っていくのがオススメです。100mごとに標高も示された道標が置かれ、その数字や城の説明を見ながらの登城を楽しめました。

 さらに、岩村から明知鉄道でさらに奥、今年のNHK麒麟がくる』の舞台の一つになっているた明智の町も覗いてみました。

f:id:umerunner:20201005060138j:plain

 中山道に戻ると大井宿。

f:id:umerunner:20201005060646j:plain

f:id:umerunner:20201005060730j:plain
 恵那は市の中心にJRの恵那駅もありますが、元々この街の地名は恵那ではなく「大井」だったのですね。五平餅や栗きんとんなど名菓も多い町ですが、食べることより歌って歩き回る方が好きな人たちと歩いているので、さらに西に行きました。

 美濃金山城の跡が遺る小山(@可児)に、

f:id:umerunner:20201005061630j:plain

f:id:umerunner:20201005061706j:plain

 4年ぶりの犬山。どちらも眼下に木曽川を見下ろせます。「尾張」と「美濃」を織田氏と斎藤氏が争った頃に、見張り台となったのが初めの役割だったようです。

f:id:umerunner:20201005061727j:plain

 このような川や山が今は防衛線や軍事拠点のままでなくてよかったな、と実感しつつ、技術的にも社会情勢的にも人の往来が容易でなかった時代に想いを馳せました。

 自然観察も歴史巡りも面白い東濃。もう少し調べてから行けたらよかったかもとも思いつつ、調べても同じ旅程にしかならなかったかもしれないほど時間の限り回って楽しんできました。

東濃観光情報
www.asoview.com
___

f:id:umerunner:20201025073455j:plain
(2020年10月下旬追記)テレビ石、つくばの地質標本館にも展示がありました。ウレキサイト(ulexite、曹灰硼石)というのですね。ホウ酸塩鉱物の一種とのこと。
 石の向こうのラベルが浮いて見えていますが、擦りガラスのようになってしまっており、向こうの絵を鮮明に浮き上がらせるには表面を磨かないといけないようです。