海外に行こう―見て聞いて話してできる体験価値

 木下斉さんが、Voicyで今週9/23-24「日本人は本当に海外に行かなくなっているのか」という回にてお話ししていた内容を受けて、私も海外で「見て聞いて話してできる体験価値」のことを改めて書いておこうと思います。
 木下さんは放送で、20代の人たちのパスポートの発行数を単に見ただけで、今の状況を「最近の若者は海外に行かないんだ、とするのはおかしい」「ただし、複数回行く人とまったく行かない人に分かれる傾向にあるのは確かだろう」というお話をしていました。これは私も同じように感じますし、やはり海外に行くことに価値があるとも感じています。以下はその「行かないと結局本当のことは分からない」と思うきっかけとなった出来事のお話です。

 それは私が初めてエジプトに、8~9年前、2015, 16年に行ったときのこと。このときは少し前に、この地域の国の民主化を求めるいわゆる「アラブの春」があってその少し後で、「現地では小さい爆発物でのテロなどが頻繁に起こっています」という報道が日本でも繰り返し流れていた時期でした。外務省の安全情報の「危険レベル」も「3」。これが「4」だと間違っても一般人が行き来できないレベルなのですが、当時の行き先はその一つ下という状況でした。

 そんな時に、私は現地のエジプト人の友達=仕事仲間に招待される機会があり、「絶対大丈夫だから」と言われて行ったのでした。実際に大丈夫だったわけですが、行く前は海外赴任の事情の分かる私の妻以外のほぼ全員に反対される中。しかし、日本での報道がそういう時でも現地には平常運転があるのだということを、現地でその様子を見て実感した、そんな機会でした。これはもちろん、現地の友人がそこにいたからこそ行けた、ということも多分にありますが。

 報道で混乱の様子が報道されていても、現地にはそこにいる本当にたくさんの人たちの日常生活がある。そりゃそうですよね。少し変わった状況があったとしても、私たちだって実際にそうだとも言えると思います。そこで生活している人はそこにいつも通りたくさんいて、その人たちは平和な日常をこそ大切にしているに違いないわけです。それは言葉にすると当たり前に聞こえてしまいそうですが、報道だけを見ていると、そういう多くの人の日常がそこにある、ということをつい見落としてしまうことが、多少はあると思うんですよね。実際に友人たちと、そのときに行動を共にして現地で「見て聞いて話した」ことは、日本での報道を見ても分からない大切な事実が現場にはあると感じることのできた、私にとって大きな体験価値の一つになっています。

 なお、妻は家族の海外赴任に経験も理解もあったので、そのときも「向こうの大学に招待されて、この程度で行かないなんてあり得ない」と思っていたようです。まぁ、止めたところで私が聞くわけもないと単に思っていた、ということも多分にあるとは思うのですが。

 と、以上が「行ってみないと分かる大切なことがある」と感じた話ですが、ついでに、実際に行かないと分からない笑い話も一つ。私はどこに行っても毎朝ジブンの足でその町を走るのですが、そのときのエジプトでも普通に朝は走っていました。ただし、朝走ることに関しては現地の友達に「それは危ない、注意しろ」と言われていました。でも、その友達は何に注意しろとハッキリとは教えてくれなかったんですね。
 行ってみると、街中でも車は結構飛ばしますし、あまりちゃんと交通整理をしてくれたり人が道を渡れたりできるようにしてくれる信号が無いしという所でしたので、これは「車に気をつけろ」ということだったと私は思い、その注意をすることにして走っていました。しかし、それはちょっと注意のポイントが違ったようだというのが後で分かりました。

 そのとき、エジプトでは毎朝早い時間から、先方の大学に行く予定になっていたので、私は未明のまだ暗い時間から走っていました。泊まっていた町は、エジプトで有名な「カイロ」でなく、地中海側にある第二の都市「アレキサンドリア」。なので、地中海沿いの道を走っていれば、車は海を走れないのでこっちには来ないから安全だろうと、海沿いを走っていたんです。そしたら! ・・・転びました。真っ直ぐの道のまんなかにあった段差につまづいて。

 そのときは、前日も一度走った所を走っていたので、半分慣れたつもりで結構なスピードでランニングをしていたんですね。そうしたら、初めて走った道ではなかったのに、暗すぎてまったく見えなくて、それなりの速さで派手に転んでヒザを打ち付けて、強く擦りむいてしまったのでした。その後は、昼間もずっとズボンのヒザの部分に染みるものがありましたし、帰国後もなかなか治らないしという状態。擦りむき傷が深かったこともあり、怪我した箇所に残った薄い赤色の跡は、3, 4年は消えなくてこれは一生消えないのかなと思ったほどでした。まぁ、それもいつの間にか消えて今はなく、笑い話になってはくれたのですが。
 慣れない土地で朝走るのに「気を付けろ」というのは、不審者でもなく、車でもなく、段差ですよということで。そんなことも、いろいろな町のつくりやいろいろな環境の場所をいくつも経験しないと分からないことだよな、ということで、転んだ教訓も私は今も大切にしているところです。

 以上、今回の結論は「海外に、慣れていない新しい所に行こう!」ということで締めたいと思います。実際にいろいろな場所に行って会うものを見て、聞いて、こちらからも話してみたりしてみる。そうすることが、危ないものも楽しいものもジブンで嗅ぎ分ける力を付けることに直結することになり、価値があるのかなと思っているところです。

 なお、今は学会で訪れていた細い路地と石畳ばかりの町から帰るところです。羽田に着いたら、そのままに2時間後から講義なんかもする予定です。13時間のフライトでは休めるでしょうか、乞うご期待。