【北海道東】根室で自然を満喫しながら北方領土問題を知る

 今月は福井の恐竜王国から帰った後、暑い中でのマスク生活を逃れて北海道東端の根室に行ってきました。


 根室は駅前からして、広い最果ての雰囲気。そして、北方領土返還の訴えを、本州でテレビなんかを見ているよりずっと強く感じます。

 訪問の第一の目的は、城跡好きの小学生たっての希望での根室半島チャシ跡群でした。この地域の海に小さく突き出た高台に多数ある “城跡” ですが、本州以西で起こった戦国時代の争いとは関係がなく存在意義も本州の城とはまったく異なっていたようです。


 ノツカマプチャシ跡。アイヌ民族によって16〜18世紀頃に造られた後、1778年に交易を申し出るロシア人が来航した場所とも伝わる場所です。1793年にラスクマンらが函館に来航するより15年前、浦賀東京湾の入口)へのペリー来航1853年よりも75年も前のこと。1700年代後半から本土からの人(和人)が支配するようになり、暴力的な争いの場にもなってしまったという記録も残っています。


 本島東端の岬は納沙布岬。3km余り先に歯舞諸島の端も見えます。

 納沙布岬にある北方館などの資料館では、肉眼でも多数の望遠鏡でも歯舞群島を望みながら、北方領土問題の解説を見ることができます。展示の数々が、故郷に帰れなくなった人の叫びを心に訴えてきます。


 1800年過ぎに活躍した間宮林蔵が、北海道の調査の中で描いていた択捉島の地図。根室の人たちは日々の生活で海産資源を得るために、北方領土にあたる島まで行き来する生活もしていたんだとか。しかし、第二次世界大戦直後の1945年8月末にソ連が侵攻してきて、根室沖の国後島歯舞諸島までが占領され続けてるんですよね。それ以前にこの四島がロシア(旧ソ連)であったことがないにも関わらず。

 というか、ソ連北方四島どころか「留萌-釧路ライン」まで具体的に侵攻する計画を実行する寸前だったのですからね (*末尾注1)。降伏直後で力のなかった日本に代わり、それはちゃうやろと米国が責め立てたために本島からはソ連は引いたのですが、米軍の駐留していなかった北方四島の実効支配はその後も続くことになったわけです。
 その辺りの話はポイントポイントで知ってはいたものの、納沙布岬での展示はそれをストーリーとして示してくれるものでした。


 ヲンネモトチャシ跡。「チャシ」は砦のような見張りの拠点だったのですが、根室半島の北岸に並ぶその目的は敵国に対する防御なんかでなく、北海道の本島と国後島との間を往来する人々を見守る目的で機能していたのでしょう。

 本土と北方四島との間の往来が叶わない今、向こうに残したものを自由に触れなくなってしまっているのが現状である上に、そもそも北方四島を故郷をする人も多いわけです。しかしね・・・
 北方四島が日本(北海道東)からすぐ近いことは、日本地図を多少でも見たことのある人なら目にしたことがあるでしょう。一方で、ロシア側から伸びて実効支配されている千島列島からも、択捉島はこんなに近いんですよね。


 その図を改めて見ると、なぜ北方領土問題が起こったのかが、ただ日本国内の地図を見ているよりもはっきりと実感できるように思います。

 もちろん北方領土の資料館のだけでなく、自然も満喫してきました。


 風蓮湖根室半島の付け根のオホーツク海側にある汽水湖。この写真を撮った前日はもっとよく晴れていたのですが、その日はレンタカーを確保できずその景色を見れず仕舞いでした。
 ここでは
日本国内でみられる野鳥のうちなんと、種類として半数以上の330種がここで見られるそうです! 人が少ない分、鳥が安心して生活できるんだろうなぁ。


 春国岱。風蓮湖のすぐ隣にアカエゾマツが群生する湿地。遠目にエゾシカや、別の場所ではキタキツネの姿も見つけました。(写真・・・では、はっきりと見えなかったので控えておきます。)
 4歳の人もしばらく「えぞしかと、きたきつねを見た!」と言っていたので、動物園ではない広い場所で彼らを見ることができたのはインパクトがあったようです。


 この春国岱と国後島にしかないという、砂丘の上のアカエゾマツ林。春国岱のアカエゾマツは、2006年以降複数回あった台風被害で海水が入ったために、多数が枯れてしまっています。歴史的にはそれも何度かあったことなのでしょうか。全体が緑の姿も見てみたい気もしますが、枯れた木が並んでいるのも自然の力を感じられて、それはそれで圧巻。


 根室の花咲港のすぐ隣りに見られる根室車石。できて時代は白亜紀。地球な温暖だった当時はここが海底で、その小さな口からゆっくりと噴出してきたマグマが冷やされて固まったところを、次のマグマが押し出してきて・・・というトコロテン式の過程を踏んでできたもの、


 日本最東端の駅、東根室。旅好きには外せない地点です。

 本当はこの翌日に根室本線の列車にも乗りたかったのですが、風雨で運休になり残念ながら乗れませんでした。それは、また次の機会に。


 なお、鉄道が運休になったので代わりに乗ったバス(根室→釧路)では、出会った地元のおばちゃんが「鉄道の方が少し高いし揺れるから、バスの方で良かったわよ」と言ってくれました。が、そんなもんですかね。バスは結構揺れましたが(苦笑)
 それでも、近くにいた人が子連れでの訪問者にやさしくて大変助かりました。


 花咲ガニ料理は、どれも濃厚な味わいで美味でした! ただし、タラバガニと同様にカニより脚が一対少ないヤドカリの仲間です。へー。

 そんなわけで、暑さと人を避けて行った根室でしたが、本州にいては見えない色々なことを目にできて無二の経験をできる場所でした。10歳の人は、帰って数日経った今日も北方領土の資料を見て、この辺りの土地を語るのに重要な北緯45°や50°の所在とやらを調べたりたところです。

+++

 PS1. この後、10歳の人の希望で函館の北方民族資料館にも足を運びました。


 こちらはアイヌだけでない北海道以北の民族の歴史や、ロシアとの位置関係を知れて、貴重な資料も充実した函館の博物館。「オホーツク文化の担い手は誰なのか」という問いが興味を引く展示に、子ども向けの資料もあり、予想外に30分以上見て回っても足りないくらいでした。

 PS2. 根室のあと釧路湿原に寄ってから飛行機で函館に飛ぶという旅程でした。

 (*注1) 本稿に「留萌-釧路ライン」まで一旦は攻め込んでるのですから」と書いてしまっていました。しかし、ソ連は北海道本島の留萌ー釧路ラインまで一時的に攻め込んだわけでなく、実際にはその野望は未遂に終わり、北海道には一度も上陸されずに済んだ訳ですね、とご指摘を読者からいただき訂正しました。ありがとうございます。