繰り返さずに、過去にしたいです

 先日、質問力・議論力と近代史というエントリで第二次大戦の話に触れました。その翌朝(8月6日朝)のテレビでのニュースは、近代史をどう記録するかは大きな問題であると、改めて強く感じさせるものでした。


 (※2011年8月の写真。)

 一つの問題は、戦争が今の中学・高校生にとって、(20歳も違わない)私たちの代と比べても急速に “現実離れしたもの” になりつつあるということです。
 今(2014年)の中学・高校生というと、多くは親が1960~70年台生まれでしょう。親世代が戦後の荒廃~復興期を直接的に体験していない代になったことは、子ども世代の戦争に対する認識の変化に、少なからず影響を与えていることと思います。

 そして、それ以上に問題だと私が思うことはもう一つ。それは、終戦から69年が経った今、戦争体験者や原爆被爆者がいなくなってしまうことが危惧されていることです。
 念のために。私が問題と感じているのは(言葉を選ばずに述べますが)体験された方々が「いなくなること」ではなく、「いなくなってしまうことが危惧されていること」です。

 だって、この69年間も国内での戦争がなかったことや、戦争による被爆者がなかったことは、皆が望んだことですよね?
 で、もしこれが実現したら戦争や被爆の体験を語れる人が「いなくなること」は、数十年も前から分かっていたことですよね? まさか、戦争の悲惨さを後世に伝える方法を、今から考えるとか言いませんよね??

 まさか、ですよね。でないと、もう一度自ら戦争を体験しないと分からないとか? その悲惨さを伝えられないとか?
 そんなんは、勘弁してほしいものです。


 ひめゆり平和祈念資料館にて(写真は2009年11月)。一度は訪れたい場所です。

 2014年7月の1ヶ月だけでも、中東のガザ地区、そしてウクライナと、形は違えどはっきり目に見える形で悲劇が起きました。

 改めて考えます。日本が戦後とってきた政治・外交的立場はどういうものだったのか。戦争を放棄するとした憲法9条や、被爆体験から生まれた核に対する忌避の想いが、東アジアにどのように作用したのか。

 人間の知恵が、武力に頼らず平和を作れるようになることを心から願いつつ、今夏も戦没者のご冥福を祈ります。